合掌

tk33082008-09-12

競輪の内田慶選手レース中に落車し死亡
一宮競輪場(愛知県一宮市)で11日行われた競輪の第51回オールスター初日の第7レースで、内田慶選手(27=栃木)が落車し、死亡した。内田慶選手は3コーナー付近でほかの選手と接触して落車し、うつぶせのまま吐血して動けなくなった。競輪場に待機していた医師が応急処置を施したが、心肺停止状態となった。直ちに心臓マッサージを施しながら最寄りの大雄会病院に搬送されたが、午後3時59分に死亡が確認された。死因は外傷性くも膜下出血とみられる。競輪を統括するJKAによると、レース中のアクシデントによる死亡事故は、03年1月3日の伊東競輪2Rでゴール後に心停止のため急死した服部雅春選手以来。また、G1(特別競輪)開催中のレースによる死亡事故は67年8月4日、静岡競輪で開催された全国都道府県選抜競輪9Rで中村政光選手が落車による頭蓋(ずがい)骨骨折、脳挫傷で死亡しており今回が5例目。02年8月3日にプロデビューした内田選手は持ち前の持久力を武器に活躍し、04年8月には一流選手の証しであるS級に昇格。07年1月には待望のS級優勝も果たした。近況は、しぶといさばきを身上に追い込み選手として大レースの常連となっていた。今年7月20日、四日市競輪場でのサマーナイトフェスティバル(G2)で決勝に進出し4着(同着)と好走。今後の成長が楽しみな関東の若手だった。自転車競技の世界でも長距離種目で実績を残した。03年から全プロ自転車競技4キロ個人追い抜きで6連覇。ナショナルチームでも04、05年にわたってW杯を転戦して入賞歴も多く、競技者としても期待されていた。突然の事故にオールスター競輪参加選手の間に動揺が広がり、12日の開催が危ぶまれたが、選手から「こんな時こそ、内田選手のためにもレースを全うしよう」との声が出て開催実施が決定された。12日には事故のあった3コーナー付近で安全祈願を行い、訪れたファンのための献花台を設置する予定だ。また、施行者側も、常駐医師を2人に増員、最寄り消防署から救急救命士を待機させて安全対策に努めることとなった。
◆内田慶(うちだ・けい)1981年(昭和56)2月11日生まれ、東京都中央区出身。埼玉・大和田小2年からスイミングクラブに入ってトライアスロンを始め、6年の時に自転車競技を中心にレースに出場。栃木・作新学院高卒。87期生として02年8月3日に宇都宮でデビュー。師匠は福田明(栃木・引退)。通算成績421戦82勝。通算収得賞金は1億173万900円。180センチ、80キロ。血液型A。主な自転車競技歴は、98年国体4キロ速度競走優勝、99年JOCカップ1キロTT優勝、99年全日本アマ1キロTT優勝、00年全日本選手権4キロ個人追い抜き優勝。03年ルーキーチャンピオンレース優勝、04年アジア自転車選手権日本大会個人追い抜き1位、04年−05年W杯第2戦4キロ個人追い抜き7位。全プロ4キロ個人追い抜きは03年から6連覇を果たしていた。

http://www.nikkansports.com/race/kka/news/p-rc-tp1-20080912-407606.html

一宮悪夢の初日…内田慶選手が落車し、死亡
競輪S級1班の内田慶(うちだ・けい)選手(27=栃木・87期)が11日、レース中の落車事故により死亡した。内田選手は愛知県一宮競輪場で開幕した「第51回オールスター競輪」初日7Rに出走。最終周第3コーナー付近で落車、一宮市内の病院に搬送されたが同日午後3時59分、帰らぬ人となった。ビッグレース中の死亡事故は67年8月以来。
87期のルーキーチャンピオンレースを優勝、全プロ大会の4キロ個人追い抜き種目で6年連続優勝中、また7月のサマーナイトフェスティバル(G2)で初のビッグ決勝戦進出を決めるなど、今後の飛躍が期待されていた内田選手がG1大会レース中の落車事故で死亡した。同選手は初日7Rに9番車で出走。残り半周を切った最終3コーナーで他選手と接触し落車。その際、顔面を強打した。走路補助員が救護に向かったが、呼吸するたびに鼻と口から吐血している状態で、バンクは赤く染まった。管理棟医務室から医師と看護師が走路に駆け付け、その場で応急措置が施された後に医務室に搬送、心臓マッサージを行いながら救急車で一宮市内の病院に搬送されたが、午後3時59分に死亡が確認された。競輪場の検車場内は内田の容体を心配する選手仲間で重苦しい雰囲気に包まれた。しかしその思いも届かず、午後5時に最悪の結果が選手代表に伝えられた。7時前に関係者と選手代表で会議を行い、8時に12日の開催を行うことが決まった。伊藤功二・競技委員長は「開催を続けることによる批判、開催を中止順延する意見など、さまざまな意見をいただいたが、栃木県の選手が“内田選手のために走りたい”と言ってくれたので(2日目以降の)開催を決めました」と話した。午前10時の開門後に走路内に献花台が設けられる予定。競輪界のお祭りであるオールスター初日に起こった悲劇…。選手は複雑な思いを胸に残り4日間を戦うことになる。
▼内田 慶(うちだ・けい)1981年(昭56)2月11日、東京都出身。作新学院高卒。02年8月プロデビュー。通算成績は421戦82勝、2着56回。通算獲得賞金は1億173万円。第87回生ルーキーチャンピオンレース(03年)で優勝。自転車競技でも活躍し、全日本プロ選手権自転車競技大会では4キロ個人追い抜きで03年から6年連続で1位。国際大会では04年アジア自転車選手権(日本大会)個人追い抜き1位などの戦績を持つ。師匠は福田明(期前・引退)。1メートル80、80キロ。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2008/09/12/16.html

ショック! 内田慶選手が落車で死亡/競輪
輪界トップが集う大舞台で悲しいアクシデントが起こった。愛知県の一宮競輪場で11日から開催されている第51回オールスター競輪(GI)の7レースで内田慶選手(27)=栃木・87期=が落車。鼻の奥を骨折し、外傷性くも膜下出血のため、午後3時59分に死亡した。内田選手は、最終周回3コーナー付近で他選手と相互接触して落車。前のめりに倒れ、頭部を強打した際に鼻の奥を骨折し、鼻と口から出た多量の血がバンクに流れた。応急処置を施した後、搬送された競輪場内の医務室では呼吸、意識ともにあったが、心肺停止の状態となり、心臓マッサージを施しながら救急車で同市内の大雄会病院に搬送。午後3時59分に死亡が確認された。
内田選手は追い込み型として力を付けており、7月の四日市サマーナイトフェスティバル(GII)でビッグレース初の決勝進出。競輪だけでなく、自転車競技でも活躍し、全プロの4キロメートル個人追い抜きでは6連覇の偉業を成し遂げており、将来を嘱望されていた。競輪選手がレース中の事故で死亡したのは平成15年1月3日、伊東競輪2レースに出走した服部雅春選手(埼玉)がゴール後に落車し、心不全のため死亡して以来。特別競輪では昭和42年8月4日の全国都道府県選抜競輪(静岡)9レースで中村政光選手(千葉)が落車による頭蓋骨骨折、脳挫傷のため死亡して以来、5件目。
下重暁子・財団法人JKA会長:「内田選手はS級1班の選手として活躍しておりましたが、このような事故が発生したことはまことに残念でなりません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」
鈴木孝幸・社団法人日本競輪選手会理事長:「突然の訃報に接し驚きを禁じえません。競輪だけでなく自転車競技でも活躍され、今後さらなる飛躍が期待されていただけに、残念でなりません。ご家族のご心痛を察するに、かける言葉もありません。謹んでお悔やみを申し上げ、心よりご冥福をお祈り申し上げます」
山口善司・開催執務委員長:「みなさまにはご心配、ご迷惑をおかけしました。開催を続けても、中止してもどちらにしろ非難の声はあると思います。でも栃木の選手をはじめ、内田選手の分まで頑張ろうという意見もあったので、開催を続行することに決めました

http://www.sanspo.com/keiba/news/080911/kbd0809112322001-n1.htm

まだまだ若いのに。悔しいでしょう、無念でしょう。「ご冥福をお祈りします」としか言えない自分の無力さがはがゆい。