それにしても思うのは・・・

平成10年(1998年) 第49回毎日王冠(GII)
サイレンススズカ VS エルコンドルパサー
異次元のスピード体験
1998年 第49回毎日王冠GII

ターフを疾走するサラブレッド。なんとも自由そうで羨ましく思えるが、レースでは騎手の指示に従わなければならないし、もちろん自分勝手に走っているわけではない。ところが、かつて自らの気持ちのままに走ることを許された1頭の馬がいた。スピードの天才、サイレンススズカである。
その天才も4歳時(旧年齢表記、以下同じ)は苦労した。弥生賞でゲートをくぐろうとして外枠発走になり、大出遅れ。ダービーでは好位からの競馬を試みるも、折り合いを欠き惨敗と、当時の彼は精神面の幼さが抜け切らず、レースで結果を出すことができなかった。そんな苦悩から解放される転機となったのが、武豊騎手と臨んだ香港国際C。大逃げを打って僅差に粘ったレース後、「サイレンススズカの好きなように走らせるのがベストではないか」という結論に達した。そして翌年、サイレンススズカはスタートから超高速ラップを刻んで逃げはじめた。すると、オープン特別、中山記念小倉大賞典金鯱賞宝塚記念と5連勝。ただマイペースで走るだけで後続はついて行くことができなかった。“スピード”という才能がついに花開いたのである。
夏を厩舎で過ごしたサイレンススズカは、次の目標である天皇賞(秋)へ向けての始動戦に毎日王冠を選んだ。ここには4歳の外国産馬、ともに無敗のGI馬であるエルコンドルパサーグラスワンダーも参戦、世代を超えた対戦に注目が集まっていた。しかし、サイレンススズカを管理する橋田満調教師は自信をもって「まあ、競馬場に見に来てください」とコメントした。果たしてその言葉通り、13万人の大観衆はサイレンススズカのワンマンショーに酔いしれることになる。いつものように軽快に逃げると、4コーナーで差を詰めてきたグラスワンダーを直線であっさり突き放し、かわって馬場の外めを追い込んできたエルコンドルパサーも余裕で2馬身半抑え込んだ。後に“グランプリ”3連覇を達成するグラスワンダーと、この年のジャパンカップに優勝、翌年フランスでG1制覇、凱旋門賞も2着と好走するエルコンドルパサーに、影も踏ませず圧倒したのだ。
本当に強い馬に戦術は必要ない、己のラップを刻めばいい。そう言わんばかりのサイレンススズカの走りは、競馬の常識を覆す無限の可能性を秘めていた。だからこそ次走、天皇賞での出来事は痛恨だった。最終コーナーで左前脚骨折、予後不良。あの悪夢のような事故から9年が過ぎた。彼の走りを見たことのない競馬ファンもいるだろう。もし、チャンスがあれば、ぜひサイレンススズカのレースを見てほしい。そこにはサラブレッドの「走る」という本能が剥き出しにされた、異次元のスピード体験が待っているのだから。

http://www.jra.go.jp/topics/column/meibamen/2007/tme07_1009.html

それにしても思うのはサイレンススズカ凱旋門賞に出ていたら、ということ。勝ってたかなあ。