凱旋門賞結果

結局昨夜は寝てしまい、関テレの録画放送は見れず。今朝「どうなったかなあ」と思っているとおはようコールで昨夜のタイガースの試合を伝えているとき、大写しになったスポーツ新聞の枠外に「フェスタ惜しい2着」とあったので「負けたかあ」。しかしあとで映像を見ると大健闘。負けはしたけれど、値打ちのある2着でした。
レース映像はこちら、右側のリンクの上から2つ目を選んでくださいな。

蛯名 正義騎手(ナカヤマフェスタ号騎乗)のコメント
「馬の力は出せました。勝ちたかったですが、良い競馬は出来たと思います。まだ、4歳なので、もう一度挑戦したいです。レースは、道中不利もありましたが、多かれ少なかれレースとはそういうものです。ナカヤマフェスタは、前哨戦を使ったことで、力まず上手に走ってくれました。自分自身も舞い上がらず集中して騎乗することが出来ました。馬にはありがとうと言いたいです。」
二ノ宮 敬宇調教師のコメント
「みんなが努力して2ヶ月戦ってきました。与えられた仕事をしっかりこなし、馬もだいぶ成長しました。みんなが1つの目標に向かって、仕事が出来たと思います。今日は随分馬が落ち着いていました。1回競馬を使ったことが良かったのだと思います。不利もありましたが、それも競馬だと思います。また、2着という結果は、まだまだ勉強が足りないと思います。チャンスがあれば、また挑戦したいです。」
武 豊騎手(ヴィクトワールピサ号騎乗)のコメント
「結果は残念でした。前がごちゃついていて、スムーズに運べませんでした。直線で外に出し、伸びてくれると信じましたが、ジワジワとしか伸びませんでした。」
角居 勝彦調教師のコメント
「結果は残念です。ニエル賞よりもだいぶ出来ているようでした。凱旋門賞には来年以降も挑戦していきたいですし、他の日本馬もどんどん挑戦してもらいたいです。」

http://www.jra.go.jp/news/201010/100402.html

フェスタ惜しい!世界へ頭差
惜しい! 11年前2着に泣いたエルコンドルパサーのリベンジに臨んだナカヤマフェスタ(牡4、二ノ宮)の蛯名正義騎手(41)が、再びゴール前で壮絶な一騎打ちを繰り広げた。わずかに頭差及ばなかったが、英ダービーワークフォースと堂々渡り合い銀メダル。武豊騎手(41)のヴィクトワールピサ(牡3、栗東・角居)は56キロのアドバンテージを生かせず、7着に終わった。
悲願に手が届きかけた。フォルスストレートを抜けて533メートルの直線。馬群から力強く抜け出したナカヤマフェスタが、残り300メートルで先頭に立った。いける! 蛯名が必死に手綱をしごく。並んできたのは1頭。内から英ダービーワークフォースが忍び寄る。残り200メートル、3歳で重量が3・5キロ軽い相手が前に出た。あきらめない。蛯名とムーアの壮絶なたたき合い。しぶとく食らい付く。ゴール前、驚異の差し返しを見せたが、頭差まで詰めた地点で無情のゴールが待っていた。
前日まで降った雨の影響で馬場は非常に重かった。パワー型の欧州勢に有利と予想されたが、泥田のダービーで後方から4着に追い込んだ道悪の鬼は、59・5キロを背負っても見事に対応してみせた。道中は馬群の外めを追走。直線手前で狭くなる場面もあったが、ジョッキーの好リードが光った。「この馬自身の競馬はできた。4コーナーで内も外もごちゃついたけど、3着馬(サラフィナ)も相当不利を受けているだろうし、許容範囲。よく頑張って走ってくれた」。
99年、30歳の蛯名はエルコンドルパサーで逃げ、最後にモンジューに差されて大金星を逃した。戦いの後に開かれたパーティーで、おえつした。あと1歩のところで、手から擦り抜けた感触。その思いが涙となってあふれ出た。当時の半馬身は時を経て頭差に縮まった。69年、故野平祐二騎手とスピードシンボリが初めて挑戦してから41年。最強馬ディープインパクトでさえかなわなかった、日本のホースマンが長年夢見てきた欧州最高峰。本当に惜しかった。「この馬の力を出し切ることに集中できた。もう1つ上があったから何とか勝ちたかったけど、頑張れたなという気持ちもある。これで終わりじゃない。まだ4歳だし、欧州の馬場にも対応できると分かったわけだから、もう1回チャレンジできたら」とジョッキーは再挑戦に意欲を見せた。
今年の宝塚記念で初めてG1を勝ったばかりのステイゴールド産駒。振り返れば父もドバイでG2、香港でG1を制したように海外で強かった。その血がロンシャンで騒いだのだ。
二ノ宮師の胸にもまた、さまざまな思いが去来した。勝算を見込んで、勝負をかけて挑んだ一戦だった。「なかなかこういう馬には巡り合えない。前のオーナーが亡くなったり、いろいろないきさつもあったから…」。前オーナーの和泉信子さんは、現オーナー和泉信一氏の長女。昨年、がんで他界した。信一氏は「亡くなる2カ月ほど前、主治医からもう好きなところへ行かせてあげてください、と言われて。信子を大好きなパリへ行かせた。娘はパリが大好きだったから」。力を振り絞る蛯名とナカヤマフェスタの背中を後押ししたに違いない。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20101004-686450.html

悔しい2着!フェスタ頭差で惜敗
欧州最強馬を決する「第89回凱旋門賞」(仏G1、芝2400メートル、総賞金400万ユーロ=約4億5600万円)が3日、フランス・パリ郊外のロンシャン競馬場で行われ、日本から参戦したナカヤマフェスタ(牡4=二ノ宮)は頭差2着に敗れた。鞍上の蛯名正義騎手(41)は99年エルコンドルパサー(2着)に続き、あと一歩のところで涙をのんだ。ヴィクトワールピサ(牡3=角居)は8着。勝ったのは今年の英ダービーワークフォースだった。
あと一歩、あと少し。世界制覇の夢が、またも寸前でこぼれ落ちた。大歓声に包まれた直線。ナカヤマフェスタは残り300メートルで外から先頭に立った。フランス入りしてから身に付けた、沈み込むようなフォーム。残り200メートルでもまだ先頭。だがインから英国のダービー馬ワークフォースが、わずか1頭分のスペースをこじ開けてきた。蛯名も左ムチで応戦するが、残り100メートルでインから前に出られた。頭差2着。日本人ファンの悲鳴がブローニュの森にこだました。
「勝ちたかったが、この馬の力は出せたし、いい競馬はできた」。蛯名は悔しさと満足感が入り交じった複雑な表情だ。直線入り口で前を行くダンカンが後退し、ブレーキをかける場面があった。それでも「競馬だから不利は多少はあるもの。3着馬だって不利は受けている。馬はよく走った」と称えた。
フェスタの馬名は宝塚歌劇が大好きだった和泉信子オーナーが名付けた。信子オーナーは昨年11月にがんで亡くなり、父の信一オーナーが名義を継いだ。今回の遠征のチーム名は「すみれの花」。花の都パリに何度も訪れた信子オーナーにささげた一戦だった。堀内助手は信子オーナーから生前にプレゼントされたエルメスの青いネクタイを締めて挑んだ。ロンシャンの空から直線、後押しがあったはずだ。信一オーナーは「惜しかったですね」と柔和な笑みを浮かべた。
99年エルコンドルパサー(2着)の雪辱はならなかったが、蛯名はしっかりと前を向いた。「エルコンドルと同じ着順だったが、馬が違うので何とも言えない。とにかくフェスタの力は出せた。まだ4歳馬、凱旋門賞にはもう一度チャレンジしたい。走りには満足でも、もう1つ上(の着順)があったのだから」。悔しい。だがチャレンジを続けていけば、いつかは手が届く。日本競馬に希望をともしたナカヤマフェスタの快走劇だった。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/10/04/01.html

ナカヤマフェスタ惜しい2着
頂点は、わずかに届かなかった。世界最高峰の舞台に日本馬2頭が挑戦し、ナカヤマフェスタ(牡4歳、美浦・二ノ宮)はワークフォース(英国)とのマッチレースに敗れて2着。99年にエルコンドルパサーで2着した蛯名と二ノ宮師は、またもや涙を飲んだ。重馬場でのワークフォースの勝ち時計は2分35秒3。ヴィクトワールピサ(牡3歳、栗東・角居)は7着に敗れた。
99年凱旋門賞のVTRを見るかのようなゴール前だった。そのとき2着に惜敗したエルコンドルパサーを管理していた二ノ宮師と鞍上の蛯名は、ナカヤマフェスタ宝塚記念を快勝したことにちなんで「チームすみれの花」を結成。11年前のリベンジを胸に再び大舞台へ臨んだ。
馬場入りしたときは前哨戦のフォワ賞同様、イレ込んだところを見せたナカヤマフェスタだが、ゲートから出ると緩いペースに戸惑うことなく、中団より後ろの位置でピタリと折り合った。内側にはヴィクトワールピサ。フルゲート20頭が団子状態のまま、ロンシャン名物の下り坂へ。ヴィクトワールピサはズルズルと下がっていったが、逆にナカヤマフェスタは徐々にポジションを上げていった。
坂の終わりから最後のコーナーを迎える地点で何度も馬体をぶつけられたが、直線ではきれいに前があく。蛯名のこん身のムチに応え、一気にスパートしたナカヤマフェスタは残り300メートルで先頭に肉薄。内からしぶとく伸びてきたのは英ダービーを7馬身差で圧勝した3歳馬ワークフォース。最後は2頭のマッチレースとなったが、3歳との斤量差3・5キロが響き、頭差及ばなかった。
直線入り口では後方になったヴィクトワールピサも、最後は急追して7着。世界一美しい競馬場と言われるロンシャンで、日本馬2頭は大和魂を存分に見せつけた。

http://www.daily.co.jp/horse/2010/10/04/0003505042.shtml

フェスタ2着!惜しいアタマ差
世界の頂点まであと一歩だった。ロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞に挑んだ宝塚記念ナカヤマフェスタ(美・二ノ宮、牡4)は2着に惜敗。蛯名正義騎手(41)=美・フリー、二ノ宮敬宇調教師(58)=美浦=は99年2着エルコンドルパサーの雪辱は果たせなかったが、当時の1/2馬身をアタマ差まで詰めて、世界制覇に最も迫った健闘だった。優勝は今年の英ダービーワークフォース武豊騎手(41)=栗・フリー=の皐月賞ヴィクトワールピサ(栗・角居、牡3)は、8位入線から繰り上がっての7着だった。
すぐ目の前まで迫っていた悲願は、ゴール寸前で夢に終わった。前哨戦のフォワ賞2着から凱旋門賞へと乗り込んだナカヤマフェスタは、直線で英ダービーワークフォースを追い詰めたが、わずかに及ばず2着。99年エルコンドルパサーモンジューの1/2馬身差だった蛯名騎手&二ノ宮調教師は、その差をアタマ差まで詰めて、最も“世界一”まで近づいたが、栄光には届かなかった。
だが、11年前よりも差はわずか。内容も胸を張っていい。道中は中団の外めをキープ。手応えはよかったが、4コーナーでは外からかぶせられて、馬が腰を落とすような不利なシーンがあった。94年以来のフルゲート(1頭出走取消で最終的には19頭出走)、さらには不良馬場と厳しい条件が重なったが、それでも直線で伸びた闘志あふれる内容は、その着順以上に素晴らしかった。
「不利は確かにあったけれど、内も外もごちゃついていたから。(不利は)自分の馬だけではない」と蛯名。「前哨戦を使って、今回はリラックスして走れていた。それだけに悔しいし、何とかしたかったけれど、力は出し切れたと思う」と、全力で走り抜いたパートナーの走りを称えた。
12番人気と評価こそ低かったが、エルコンドルパサーの教訓と経験を生かしての滞在が、やはり本番で生きた。二ノ宮師が「前回はすべて手探り。でも、今回は相手関係を調べる余裕がありました」と言うほどの自信が、その走りに表れたといっていい。トレーナーはフランス入りする前にドバイのメイダン競馬場を視察済み。すでに来春のドバイワールドCデー(3月下旬)を見据えている。
敗れはしたが、世界にその名を知らしめたナカヤマフェスタ。「本当にありがとう。でも、これで終わりじゃない」。蛯名は感謝の思いを寄せるパートナーとともに、さらなる飛躍を胸に誓った。

http://www.sanspo.com/keiba/news/101004/kbd1010040507004-n1.htm

行け行け、がんばれ。いつか勝てる。

真夜中、結果の一報を聞いたとき、「よくやった」と思った人も多かっただろうが、エルコンドルパサーの敗戦をリアルタイムで体験した私は、言葉にできない「ウッー」という嗚咽を何故か漏らしてしまった。あの日、日本競馬が最も世界に近づいた、その着順を再び得たということは、もう一度世界に近づいたということ…。それでも、である。かくも運命とは過酷なのか…。それでも、蛯名騎手の笑顔に救われる。
レースは中団馬群の外目でレースを進めたナカヤマフェスタ。前走は超スローだったが今回は流れの中で伸び伸びと追走。徐々に外目に出していつでも動けるように準備完了。一方、ヴィクトワールピサはスタートで馬群に飲み込まれ、苦しい位置取り。日本でも同様の位置から脅威的な瞬発力を発揮してきたが、経験のない20頭という他頭数でもがく。
コーナーを回り、フォルスストレートでもまだ位置取りは変わらず。直線勝負に備え続ける。直線、前に何頭か入り込まれたものの何とかロスは最小限に抑えて外へ。残り400mの手ごたえは抜群で突き抜けるかと思われたが…。後ろから内をすくって伸びてきたのはワークフォース。残り200m前から一騎打ち。蛯名騎手も懸命に馬を励ましたが、最後まで差を詰められずアタマ差で再び栄冠はすり抜けていった…。
今回も、日本馬の前に立ちはだかったのは3歳馬。ここまでの日本生産馬史において、最高到達点と言えるディープインパクトが、凱旋門賞で負けたことの日本競馬界にとっての収穫は、やはり凱旋門賞を勝つには「3歳」でなければならないという示唆だった。直線外から伸びたものの弾けず7着(8位入線)に終わった、ヴィクトワールピサは、初の3歳日本馬の挑戦。これは重要な前例となるかもしれない。ただ、皐月賞馬であり、ダービーを勝っていたらあるいは三冠を目指して菊花賞という選択肢もあったかもしれない…。その意味では今後、日本馬が凱旋門賞を勝つには、日本においても「三冠」の価値というものが見直す必要があるかもしれない。既に天皇賞・秋の存在に菊花賞は揺さぶられているのではあるが…。
今年は正直出走した欧州馬のレベルもイマイチ。絶好のチャンスではあったが…。ともかく、両陣営には感謝。そして拍手を。願わくば来年も挑戦をしてほしいところだ。

http://archive.mag2.com/0000150903/index.html

実を言うと、昨夜の凱旋門賞のビデオを初めて見たのは生徒指導室の学情パソコンで。ゴールシーンを見終わって「また2着かぁ」と思うとなぜだか涙があふれてきて困りました。この回顧を読んで「泣いてもよかったんやな」と安心しました。