午前中外出

tk33082009-06-21

今日は午前中近八尾のミドリ電化へ行ってマイクロSDカードというモノを購入。クラスの保護者とのやりとりはだいたいメールでしているのですが、本体のメモリがそろそろあふれそうだったので、メディアを購入してそちらへエクスポート。やりとりのメールはそのままにして、保護者あてメールマガジンは第1号からおとつい発行の第48号まで分かりやすいようにリネームしておきました。

マーメイドS結果

コスモプラチナ逃げ切りV
21日、阪神競馬場で「第14回マーメイドS」(GIII、芝2000メートル)が行われ、和田竜二騎手騎乗で9番人気のコスモプラチナ(牝6歳、栗東宮徹厩舎)が好スタートからハナを切り、そのまま逃げ切って2分0秒2(良)で重賞初制覇。1番人気ベッラレイア(牝5歳、栗東平田修厩舎)は4着に終わった。2着は3連勝で重賞初挑戦の4番人気ニシノブルームーン(牝5歳、美浦・鈴木伸尋厩舎)、3着は昨年のエリザベス女王杯馬で出走16頭中唯一のGI馬リトルアマポーラ(牝4歳、栗東長浜博之厩舎)。コスモプラチナは父ステイゴールド、母はグレースマリヤ、母の父グルームダンサー。通算39戦6勝で、重賞は初制覇。半姉には北九州記念(GIII)を勝ったコスモフォーチュンがいる。

http://www.sanspo.com/keiba/news/090621/kba0906211551016-n1.htm

開幕週の良馬場、内枠の逃げ馬、そうして人気薄。条件がそろっていましたな。レース映像はこちら、そうしてひさびさの和田Jの勝利騎手インタビューはこちら。和田騎手の後ろに広がっている青空がきれいです。雨っぽいのでやめたのですが、行けば良かったか。

ディープインパクトの甥、新馬勝ち

ダノンパッションV
21日の阪神4R・メイクデビュー阪神(芝1600メートル)は、武豊騎手騎乗で圧倒的1番人気に支持されたダノンパッション(牡2歳、栗東池江泰郎厩舎)がゴール前で抜け出し1分39秒4(良)で快勝。人気に応えデビュー戦を飾った。ダノンパッションは道中、折り合いを欠き、直線でも前が詰まる不利。武豊騎手が追い出しを待って、残り1Fで前が開くと抜群の瞬発力で一気に前を捕らえた。着差以上に強い内容での完勝だった。ダノンパッションは、父アグネスタキオン、母スターズインハーアイズ、母の父ウッドマンという血統で、近親には7冠馬ディープインパクトがいる。半兄には若駒Sを勝ち、弥生賞(GII)で3番人気に支持されたアインラクス(父ダンスインザダーク)。

http://www.sanspo.com/keiba/news/090621/kba0906211226015-n1.htm

悲しいデビュー戦

ウィズダム悲しい新馬戦…
20日の福島5R新馬戦でグリーンウィズダムが3コーナーでつまずき競走中止(右前腕骨開放骨折予後不良)。また、ブラックジョークは同馬に触れて競走中止(馬は異常なし)した。グリーン騎乗の後藤は全身打撲、ブラック騎乗の吉田豊は右鎖骨挫傷と診断されたが、その後のレースは予定通り騎乗した。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2009/06/21/03.html

レース映像はこちら、せっかくデビューできたのに残念。

2人の門出

異色のニューフェイスたち
今日の大井競馬でジョッキーとして新たなスタートを切る二人。安藤洋一騎手と中村尚平騎手。
地方競馬で騎手になるには現在2つの方法があって、地方競馬教養センターに入所して2年間の騎手課程訓練を修了したのちに騎手デビューする方法。そしてもうひとつが厩舎での調教騎乗などの経験を積み、俗に一発試験といわれる一般試験を受けて合格通知を得る方法があります。(いぜんはこのほかに半年間の短期騎手課程というのもありました)南関東でこの時期デビューするのは一発試験組です。6Rブラックダイヤが初陣となる中村尚平(なかむらしょうへい)騎手は25歳。日本で騎手になることを志願したときに視力が規定をみたせず一度は断念。それでも諦めきれず、牧場から地元名古屋で騎手見習いに入り、19歳の時に単身オーストラリアに渡りました。そのきっかけになったのが、なんと競馬ブック!週刊競馬ブックに掲載されていたオーストラリアで活躍する富沢希ジョッキーの記事を読んだことでした。オーストラリアならコンタクトレンズをした上での騎乗が許される。
そう知ったときには言葉もわからないまま渡豪の準備を始めたそうですから猪突猛進とでもいいましょうか、なかなかの行動派です。オーストラリアでライセンスを取得するとタムワース競馬場で2005年6月にデビューし、ゴールドコースト競馬場に移り220戦25勝2着25回。しかし調教中の事故で左足を負傷し、帰国することになったのでした。怪我が良くなると、再び騎手になりたい想いが強くなり、日本で騎手を目指すためまずは視力回復手術を受けたそうです。そして大井競馬に直談判。武智政明調教師が引き受け手になって調教厩務員から再出発。2回目のトライで合格してついに子供の頃からの夢を実現させることになりました。勝負服は武智調教師の騎手時代の色を取り入れた黄色・青一本輪、青袖黄色二本輪。ちなみに騎手としては再デビューになるため、減量特典はありません。
そして7Rカイウンオウジで初騎乗するのが安藤洋一(あんどうよういち)騎手。安藤光彰騎手の長男で叔父は安藤勝己騎手というジョッキー界のサラブレッド。「父から騎手になれと言われたことは一度もない」といいいますが、小学校の卒業文集で書いた将来の夢はジョッキー。それを見た父の光彰さんは喜んで中2からJRA中京乗馬センターに通よわせたそうですが、いざ馬に乗りだすと面白くて夢中になり、騎手への道を選択したのでした。一旦は地方競馬教養センターに入所したものの退学し、地元笠松で調教を手伝っていましたが、安藤騎手もまた夢を諦めることはできず17歳で大井競馬に騎手見習いとしてやって来て3年。センター時代の同期である川島正太郎騎手、澤田龍哉騎手と1年遅れで同じ土俵に立つことになりました。勝負服は白に青縦縞、そで赤・青一本輪。あえて安藤色は使わなかったといいます。「父や叔父のことがあるから責任もプレッシャーも感じていますがまず大切なのは調教師や厩務員との信頼関係。馬に乗ってしまえば父や叔父のことは関係ありませんから」となかなか凛々しいのです。安藤家の長男としての気概のようなものを感じますが、周囲からも「血筋なのか馬乗りのセンスは理屈じゃないものを持っている」と聞きます。合格したときに栗田裕光調教師がこう言ってくれました。「あせらずやれよ。内田も的場も1年目からポンポン勝てていたわけじゃないんだから」。栗田裕光調教師、兄デシの坂井英光騎手からも可愛がられて本日スタートラインに立ちます。

http://wwwblog.keibabook.co.jp/nankan-concierge/2009/06/21.html#174237