2人の門出

異色のニューフェイスたち
今日の大井競馬でジョッキーとして新たなスタートを切る二人。安藤洋一騎手と中村尚平騎手。
地方競馬で騎手になるには現在2つの方法があって、地方競馬教養センターに入所して2年間の騎手課程訓練を修了したのちに騎手デビューする方法。そしてもうひとつが厩舎での調教騎乗などの経験を積み、俗に一発試験といわれる一般試験を受けて合格通知を得る方法があります。(いぜんはこのほかに半年間の短期騎手課程というのもありました)南関東でこの時期デビューするのは一発試験組です。6Rブラックダイヤが初陣となる中村尚平(なかむらしょうへい)騎手は25歳。日本で騎手になることを志願したときに視力が規定をみたせず一度は断念。それでも諦めきれず、牧場から地元名古屋で騎手見習いに入り、19歳の時に単身オーストラリアに渡りました。そのきっかけになったのが、なんと競馬ブック!週刊競馬ブックに掲載されていたオーストラリアで活躍する富沢希ジョッキーの記事を読んだことでした。オーストラリアならコンタクトレンズをした上での騎乗が許される。
そう知ったときには言葉もわからないまま渡豪の準備を始めたそうですから猪突猛進とでもいいましょうか、なかなかの行動派です。オーストラリアでライセンスを取得するとタムワース競馬場で2005年6月にデビューし、ゴールドコースト競馬場に移り220戦25勝2着25回。しかし調教中の事故で左足を負傷し、帰国することになったのでした。怪我が良くなると、再び騎手になりたい想いが強くなり、日本で騎手を目指すためまずは視力回復手術を受けたそうです。そして大井競馬に直談判。武智政明調教師が引き受け手になって調教厩務員から再出発。2回目のトライで合格してついに子供の頃からの夢を実現させることになりました。勝負服は武智調教師の騎手時代の色を取り入れた黄色・青一本輪、青袖黄色二本輪。ちなみに騎手としては再デビューになるため、減量特典はありません。
そして7Rカイウンオウジで初騎乗するのが安藤洋一(あんどうよういち)騎手。安藤光彰騎手の長男で叔父は安藤勝己騎手というジョッキー界のサラブレッド。「父から騎手になれと言われたことは一度もない」といいいますが、小学校の卒業文集で書いた将来の夢はジョッキー。それを見た父の光彰さんは喜んで中2からJRA中京乗馬センターに通よわせたそうですが、いざ馬に乗りだすと面白くて夢中になり、騎手への道を選択したのでした。一旦は地方競馬教養センターに入所したものの退学し、地元笠松で調教を手伝っていましたが、安藤騎手もまた夢を諦めることはできず17歳で大井競馬に騎手見習いとしてやって来て3年。センター時代の同期である川島正太郎騎手、澤田龍哉騎手と1年遅れで同じ土俵に立つことになりました。勝負服は白に青縦縞、そで赤・青一本輪。あえて安藤色は使わなかったといいます。「父や叔父のことがあるから責任もプレッシャーも感じていますがまず大切なのは調教師や厩務員との信頼関係。馬に乗ってしまえば父や叔父のことは関係ありませんから」となかなか凛々しいのです。安藤家の長男としての気概のようなものを感じますが、周囲からも「血筋なのか馬乗りのセンスは理屈じゃないものを持っている」と聞きます。合格したときに栗田裕光調教師がこう言ってくれました。「あせらずやれよ。内田も的場も1年目からポンポン勝てていたわけじゃないんだから」。栗田裕光調教師、兄デシの坂井英光騎手からも可愛がられて本日スタートラインに立ちます。

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