桜からの連想

  • 桜吹雪舞い散る下でやることと言えば「切腹」というイメージがあります。

桜がきれいに咲けば咲くほど、「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせむ」との辞世を遺して散っていった浅野内匠頭のイメージがダブってしまいます。

  • もうひとつは「特攻」。学徒出陣は「泥んこの神宮外苑」というイメージがあるのですが、知覧・鹿屋から飛び立っていく飛行機のバックは桜でしょう。

2年前56期生を卒業させて担任7人で旅行に行きました。別府で一泊し、本隊は湯布院に向かったのですが私はひとり別れて、かねてから行きたかった知覧へ行ってきました。鹿児島からバスに揺られて1時間ほど。平日だったので町はひっそりとしていました。平和会館で半日つぶれ、その後は、富屋食堂行ったり武家屋敷見て回ったり。

ほとんどが知っていることの追確認でしたが、平和会館の展示品の前では言葉を失ってしまいました。ただ行く前は町に対してあんまりいろいろ考えるのはやめようと思っていました。町全体が喪に服しているわけでもなし、そこには今暮らしている人の暮らしがあるだけでたまたま特攻基地があったからそうやって私なんかも行ってみようと思う町なわけで。

でも町の雰囲気は良かったです。スッゴクどこにでもある田舎町で。「特攻基地の町」を観光材料に使おうという雰囲気があまりなくて。でも「売ってるかなあ?売っててほしくないなあ」と思っていた「特攻まんじゅう」を売っているお店があったのはちょっと残念。せめて「知覧まんじゅう」にしてほしかった。

でもね全体としてはさびれた田舎町でした。「特攻の町」であると同時に、様式的には奄美から琉球へ至る南西諸島文化圏の影響を受けているであろう武家屋敷などが残っており、基本的には「薩摩の小京都」なのだと感じました。もう行くことはないと思いますが、知覧は知覧らしくいつまでもその佇まいを残してほしいな、と思いました。

夜行バスで帰りながら、ふと考えました。中学生の頃江田島へ行ったことがあるのです。そうして知覧。総まとめはやっぱり靖国神社かな?とね。