卒業式の服装

2年生が近大を見学している頃、ガッコでは3年生が山本先生の話を聞いていました。卒業式の服装についての話しでした。山本先生の話の中でいちばん印象に残ったのは「卒業式を制服着る最後の日にして欲しい」というモノ。「そういえば、そうかな〜」と思いました。

私が卒業したガッコは住吉区にある府立阪南高校で、ここも私服のガッコでした。体育の授業でさえ各自が好きなジャージで受けるようなガッコでしたので、私も山本先生と同じで3年間私服で通学しました。卒業式もみんな好き勝手な格好で出席していました。でもたいがいが上はセーター・下はジーンズ・上着はダッフルコートあたりの普段着で、君らの先輩みたいにスーツや袴で出席するヤツはいませんでした。

「服装が自由である」ということの意味をよく考えて欲しいのです。今私服のガッコはだいたい1970年前後の学園紛争当時に、当時の高校生たちが当局(センセたち)と交渉して「服装を自由化」したのです。彼らにとっては「学生服」という画一的な服装が「抑圧」の象徴だったのでしょう。彼らの主張をセンセたちが聞き入れて、いろんなガッコで服装が自由化されました。君たち、そうして私の先輩たちが「服装自由化」を勝ち取ってくれたのです。でもそれは「抑圧からの解放」を目指したモノであって、好き勝手な服装でガッコに来てもよいというモノではないはずです。

もともと制服のないガッコなら話は別ですが、山本には制服があります。その「着用は自由とする」とされているだけです。山本先生も「最後は君らが考えること」と言っていましたが、私も同じです。私が言いたいのは「服装が自由だからと言ってなにを着てもよいということではない」ということです。よ〜く考えてください。