『シェイヨルという名の星』着手

作者についてはこことかここを参照のこと。
構成はまず巻頭にJ・J・ピアスによる「人類補完機構年表」とゼラズニイによる「コードウェイナー・スミスのこと」。それ以降は「クラウン・タウンの死婦人」「老いた大地の底で」「帰らぬク・メルのバラッド」「シェイヨルという名の星」の4篇。ゼラズニイの文章が泣かせます、ちょっと長いけど全文引用。
ーーーーー(ここから引用)
ぼくはコードウェイナー・スミスに会ったことはない。だが1年近く、スミスの家から、多分10マイルと離れていないところにすんでいた。
会いたい、という気持ちは強かった。だが相手が物書きとなると、ぼくにはちょっとためらってしまうところがある。知りあって人柄が見えてこないかぎり、向こうの邪魔をしたくない、時間をあまり取らせたくないという思いがはたらくのだ。一面識もない作家のところへ電話をかけ、自己紹介し、気楽におしゃべりをするということが、元来できない体質なのである。仕事の話ならできるが、世間話ではそうは行かない。だからコードウェイナー・スミスが何者かは知っていたけれど、とうとう電話をかけそびれてしまった。
いまでは、どなたもスミスのことはご存じだろう。22でジョンズ・ホプキンズ大学から博士号を取ったこと、53歳の若さで亡くなったこと、40年代"カーマイケル・スミス"とか"フィリックス・C・フォレスト"の名義で普通小説を書いたこと、等々。だが、知らないという方もあると思うので、ぼくからも少し付け足すとしよう。−−−というか、スミスについてぼくが知っているいっさいがっさいだ。
彼はここ、ボルチモアの軒つづき住宅のひとつに、夫人(言語学者で、ブリタニカ百科事典にも執筆している)と、飼猫のキャット・メラニー(これを短くしたク・メルという名前には心当りがあるはずだ)、そうして7000冊の蔵書(なかには1611年版の欽定訳聖書があり、スミスはこれを30年間さがし求めた)とともに住んでいた。また彼は陸軍予備役大佐であり、心理戦争関係のたいへん重宝された本の著者でもあった。
あるときスミスは3000年をなくしてしまったことがある。西暦6000年から9000年までの歴史で、スミスはこれを背の赤い小型のノートブックのなかにしまっていた。ギリシャ領のロードス島にいたとき、彼はうっかりノートブックを波止場近くのレストランのテーブルに置き忘れてしまった。気づいてもどったときにはノートブックは消え、見つかれば賞金を出すと広告したけれど、それっきり出てこなかった。そのなかにはキャラクター・プロット・アイデアなどについて思いついたことが。何ページにもわたってびっしりと書きつけられていた。−−−要するに、いつか書くつもりでいた小説群の骨組みとなるものだ。ノートはまだどこかにあるのかもしれない。彼が生きていれば、復元もできたかもしれない。なんともいえないが、いまになっては遅すぎる。
そのノートブックが手にはいるなら、ぼくはどんなお礼をしてもいい。もし発見されるようなことがあったら、どうかぼくに知らせてほしい。未亡人に返すことは約束する。といってもそのまえにちょっと読ませていただくが。
もちろん彼にはとても敵わないだろう。スミスが書いたであろうようには、ぼくには絶対に書けそうもない。だがノートブックを読みとおすことで、彼の思考過程の一端にふれることはできると思うのだ。きっと学ぶことがたくさんあるだろう。とにかくいろんな意味で、ぼくよりずっと上手な作家だったのだから。
意外に知られていないと思うのは、コードウェイナー・スミスが執筆中に行きづまったとき、夫人がしばしば難局を救っていることだ。これは有名なカットナー=ムーア・チームの小説作法とよく似ている。夫人がタイプライターの前にすわり、1・2ページ進める。するとまた彼がすらすらと書き継ぐことができるのだ。あとになると、どこを誰が書いたのか、スミス自身にも見分けがつかなかったという。
こうしたことをぼくが知っているのは、しばらくまえ地元新聞のコラムニスト、ジェイムズ・ブレディの取材を受けたからである。ブレディはボルチモア・サン紙で<新刊と著者>というコラムを書いている。ある日曜の午後、ぼくは1時間半ほどインタビューを受けたのだが、そのとき彼がいままでにインタビューしたSF作家はコードウェイナー・スミスだけだと漏らしたのだ。ぼくは驚き、ありったけの情報を彼からしぼりだすと、1965年9月26日号のコラムの切り抜きーーーコードウェイナー・スミスのやつだーーーを送ってもらった。
もしもっと早く出会っていたら、ぼくが頼んでさえいたら、きっとブレディ氏は紹介状を書いてくれたと思う。だがスミスはもうこの世にいない。
SFファン一般には珍しい情報だと思うものの、こうした些細な事実にどれほどの意味があるか、ぼくには何ともいえない。いまぼくが雨の1日、膝にタイプライターをのせ、流感で腹と喉をやられながら、こうしてコードウェイナー・スミスのことを考え、知っている洗いざらいを書いているのは、ジェイムズ・サリスから頼まれたというほかに、人びとの記憶に残しておきたい作家について、あなたの視野を広げる一助になればという気持ちがあるからだ。
SF作家が未来を予見できるというのは嘘である。第一、ぼくにはその能力はない。もし予見できるなら、ぼくはきっと体質的な気の重さなどかなぐり捨て、電話を取っていたと思う。そして初めての卒業ダンスパーティに行った16歳の女の子みたいに、彼の家の電話番号をまわし、自己紹介をし、ひどく間抜けなことをいい、つぎには賛辞を並べたてていたと思う。スミスは、自分の文章がまたひとりの人間に伝わり、何かを与えたことを確認したにちがいない。
そうしていればよかったと思う。
さて本来なら、スミスの文体、キャラクター、アイデアなどについても、ここで語るべきかもしれない。だが、それは不可能だ。ただ彼の小説が好きだーーー、それだけのことだからだ。そしてもうこの先読めないと思うと、悲しく、たいへん残念な気がする。
最後にひとつだけ、ぜひともみなさんにお願いしたいことがある。もしあなたがコードウェイナー・スミスの小説をお読みになったことがないなら、どうぞ一度手にとって、読んでいただきたい。そうしたらぼくの気持がわかり、「やあ、はじめまして、あなたはすばらしいと思います」そういって顔を赤らめるチャンスがなかったのを、なぜ悔やんでいるかもわかってもらえると思う。もし読んでおられるなら、あなたはもうおわかりのはずだ。
ーーーーー(ここまで引用)
むかし筒井が書いた中央公論の塙さんへの追悼文(「知の産業−−−ある編集者」『着想の技術』(新潮社刊)所収)も泣かせましたが、この文章もなかなかのモンです。