泣いた泣いた

【台中(台湾)2日】北京五輪が見えた。日本が韓国との大一番を4−3の接戦で制し、野球が正式競技となった92年のバルセロナ大会から5大会連続の五輪出場に王手をかけた。星野仙一監督(60)は先発を当初の発表から大きく入れ替えた相手の“違約”による奇襲に怒りの炎を燃やし、絶妙の投手起用で逃げ切った。闘将の目に涙が光った。3日の台湾戦に勝てば、北京行きが決まる。
百戦錬磨の闘将が我を忘れた。「選手が、気合が入って…。必ず信じて、勝てると、…オレ、何しゃべってんだ?」。勝利インタビューで思わず口走った。それほど苦しかった。興奮していた。紛れもない死闘。負ければアジア予選突破の消滅する韓国戦。星野ジャパンが1点差をしのぎ切った。
何が起こるか分からない国際大会。いきなり想定外の出来事が起こった。「プレーボールと同時にびっくりした。1時間前にもらったスターティングメンバーと全然違っていた。(11月30日の)監督会議で紳士協定を結んだのに出てきたメンバーは変わっていた」。スタメンは1時間前に交換したものもはずが、先発マウンドには右腕・柳済国ではなく左腕の田炳浩。野手も6人の打順が違っていた。
星野監督はベンチを飛び出し、確認に向かった。国際野球連盟(IBAF)のルールでは「試合開始前に監督同士で交換するメンバーが最終決定」(広報)ということで規則上問題なし。しかし、これで星野監督の闘志に火がついた。「大きな会議で決めたのに疑問だ。あれで負けられないと思った」と怒りながら振り返った。
成瀬が初回に被弾し、先制されたが、へこたれない。2回表に逆転に成功し、4回途中に1点差に追い上げられると迷うことなく川上を投入した。「あそこは憲伸の経験を買った」。そして6回途中には岩瀬にスイッチした。しかし8回、再び1点差に迫られ2死一、三塁の大ピンチ。岩瀬から藤川に代えるかと思われたが、今度は続投させてしのぎ切った。2回1/3はシーズン中には考えられないイニング数。「球児(藤川)もいきたかった。ただ、ひょっとして10回があると計算した。とにかく岩瀬が頑張ってくれると信じていた」。

「アイツらはオレの教え子」と言い切る2人から9回は守護神上原にマウンドを託した。「あそこで自分をコントロールし、ボールをコントロールできる。素晴らしいピッチャーだ」。選手を信じ、攻めるときは攻め、耐えるときは耐える。メリハリの利いた絶妙な投手起用だった。「本当にアイツらの顔色、目の色を見てたら本当に勝たしてやりたいと思った。ありがとう!」。勝利を全身で実感し、真っ赤な顔で絶叫した。
「十二分に、一丸になった。裏方さんも含めてひとつだ。これはめちゃくちゃ重い勝利。この試合にかけていた。でも明日も大きなゲームになる。選手は自分を信じて。我々は選手を信じて行く」。さあ地元台湾戦。先発はエース・ダルビッシュだ。涙の先に北京が待っている。

http://beijing2008.nikkansports.com/baseball/asia/p-bb-tp0-20071203-290747.html

いつもなら9時に寝るのですが、昨日はそんなこと言ってられませんでした。それにしても見ていてこんなに疲れたのだから選手らは大変だったでしょう。お疲れさまです、そうして今日の台湾戦に勝って北京への切符を手にしてください。
星野監督の試合終了後インタビューは「ああ、しんどかった」で口火を切って欲しかった、なんてことをちょっと思ったりして。