良い人は早く逝く

小宮さんのこと(和田)2008/01/25(16:08)
目の前に突きつけられた事柄が、あまりに予期しない衝撃的な事象だった場合、頭が真っ白になって言葉を失うというのは本当でした。どこかで覚悟というか、心の準備をしていたつもりでも、です。
今週号の週刊誌の推奨コラムで、高柳先輩と林TMが触れていたので気付かれた方もいらっしゃると思いますが、長年、我が社の名物トラックマンとして活躍した小宮均さんが、さる1月14日に永眠されました。60歳でした。
“日本一顔の広いトラックマン”という異名を取った人で、その人脈の広さはとてつもなく、実際、訃報が入った直後から、同業者はもちろんのこと、競馬会の職員さんや、馬主さんなどから矢継ぎ早に問い合わせの電話が入ったほどでした。
在職中の05年11月に病に倒れ、約2年2カ月の闘病生活。その期間中も現場復帰の執念たるや凄まじく、入退院を繰り返しながらも、現実にレース後のインタビューに検量室へ、という時期もあったのです。
しかしその当時でも、知り合いの馬主さんに挨拶しようとして、相手の方が一瞬、小宮さんだと判別するのに苦しむ、というシーンに何度か居合わせました。そのくらい痩せこけた体でも、競馬場に姿を見せ、笑顔を見せ続けた人でした。
たまに、どうしてそこまでして、と感じることもあったのですが、検査のために再入院する際など、
「和田よ〜、競馬場に行けないのは寂しいな」
と口にしていました。その言葉が全てを物語っているのでしょう。
無論、私などが闘病の苦しみを理解することは到底できません。ただ絶対現場主義の自分としては、競馬場に行けない寂しい気持ちだけは理解できるだけに、言葉に詰まるばかりでした。
考えてみれば、私は小宮さんの後半生の20数年ほどの付き合いしかなく、したり顔で追悼の文章を書くにふさわしい人間ではないでしょう。だから、思い出話は私なりにいくらでもあるのですが、長々と書くのはやめておこうと思います。
ただ、病に倒れた後、2カ月に1度くらいの割合で携帯に連絡を頂き、経過を報告して貰ったり、こちらの近況を報告したり。今にして思えば最晩年に頻繁にやりとりをさせて貰ったことになります。それだけに記憶の中のイメージが濃厚なものですから、ショックが覚めやらぬ中、気持ちを奮い立たせて書き記すことにした次第です。
昨年の11月9日に、
「また築地に再入院だよ〜」
という電話を貰ったのが最後になりました。満足にお別れの挨拶ができなかったのが心残りです。
安らかにお眠り下さい。
あ、いや、そうだその時、
「もう一度、一緒にオート(レース)行けるといいな」
って言ってたじゃないですか。
約束を忘れちゃいけませんよ小宮さん……。(和田)

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