1996年という至福の年

1997/04/14(月)
今日はまず1限が1−4β。「指数法則」をやって「単項式同士の積」の後「展開」に少しだけ入りました。
2限は空き。提出させた春休みの宿題を点検していました。
3限1−3αは2回目の授業。タンジェントを使った問題を少しやりました。
4限1−5αは1回目の授業。自己紹介、春休みの宿題集めのあとで中学の復習(三平方の定理と30°・45°・60°の直角三角形)。
その後タンジェントについて少し授業しました。
5限1−1αは自分のクラス。4限1−5αと同じ内容でした。
6限は空き。春休みの宿題の点検で時間が過ぎました。
終礼、掃除のあと生指のV10でI井センセに言いつけられたレジュメ作り。6時頃までかかりました。
6時を過ぎてからO野センセに一太郎講習会。6時半頃終わってガッコを出ました。
ところで、去年までなら6時頃からが生指はおもしろかったのです。
5時半頃、それまでガッコの中で散らばっていろんな仕事をしていたY崎、M野、K山、私が生指に集まります。
Y崎センセは「さあ帰ろか。」とか言いながらコーヒーをいれだすし、M野センセはワープロ打ちだすし、K山センセは明日の予定を確認しだすし、私はV10のメンテナンスをしだしました。
誰かがソファに座るとそれが合図で、みんながソファのまわりに集まり「爆笑タイム」の開始でした。
今年の生指のメンバーは去年思っていたようなイマイチのメンバーではなく、そこそこの「仕事しい」がそろっていて楽しそうです。
でも、去年のあの6時台のような楽しさはありません。(放課後いつも生指にいるのでよく知っています。)
去年、1996年度というのは私の教員人生でひょっとしたらいちばん楽しく、充実した1年だったのかも知れません。
てなことを考えながら自転車こいでいるとさみしくなってきた今日の帰り道でした。
M野先生お元気でしょうか?

今でも思います、あの1996年というのは至福の1年だったのだと。