コンピュータ将棋vs女流王将

シンプルなルール、奥深い戦略性
人間の知性をコンピュータで再現しよう、あるいは人間の知性とはいったいなんなのか解き明かそう。人工知能研究の一分野として、コンピュータ将棋の開発がスタートした。1970年代のことだった。
将棋は、2人で勝ち負けを争うゲームだ。縦9マス横9マスある盤上に、「玉」や「金」「歩」といった8種類20枚、2人で合計40枚の駒を双方がルール通りに並べて始まる。駒はそれぞれ、移動できる範囲が決まっている。互いが駒を交互に動かしていって、最後に「玉」を取った方が勝ちとなるゲームだ。
駒の動かし方、ルールさえ覚えれば、小学生でも楽しむことができる。ビデオゲーム機やパソコン用に、たくさんの将棋ソフトが出ていて、子どもから大人まで、ファンの年齢層は幅広い。30年ぐらい昔は、どの家にも分厚い四角い将棋盤や薄い折りたたみ式の将棋盤がひとつぐらいあった。週末にはNHKで将棋番組が放送されていて、我が家でもテレビを占領する父に、母が怒っていた。
努力すれば、それなりに強くなれるし、実力差があれば、上手い人が使うコマを減らす駒落ちのハンディキャップをつけて楽しむことができる。
一方でゲームの展開は、ほぼ無限に広がる。将棋にはプロのプレイヤーがいて、ファンが観戦を楽しむ。トッププロはアマチェアが絶対に及ばない実力を持っていて、とても奥深くで複雑なゲームだ。
将棋のルーツは、インドにあると言われている。古代インドにあったチャトランガというボードゲームが西に渡ってチェスに、東に渡って将棋になった。欧米では知性の象徴とされている。
プロ棋士への挑戦
1975年に開発が始まってしばらく、コンピュータ将棋はとても弱かった。小学生か中学生だった私が、ファミコンで遊んだソフトも、何度かやれば、勝つことができるようになった。
コンピュータ将棋ソフトはあまりに弱く、10級から始まるアマチェアの級位で20級と揶揄されたこともあった。だから将来も、コンピュータ将棋がプロ棋士に勝つとは、とても考えられなかった。
それでも、科学者やプログラマーたちは、より強い将棋ソフトを目指して開発を続けてきた。いつかプロの相手となり、プロを超えることを目指してきた。
研究や開発に携わる人が多くなり、1990年代にコンピュータ将棋ソフトが集まる選手権が毎年開かれるようになると、年を追うごとに強くなってきた。そのうち、腕に覚えのある程度の人間とは互角以上で戦えるようになった。
さらに、アマチェア強豪やプロとのハンディ戦がエキシビションなどとして実施されるようになり、2010年、コンピュータ将棋を研究するグループを持つ情報処理学会は、ついにコンピュータがトッププロ棋士の相手となり、彼/彼女たちを超える段階に至ったと判断した。
4月2日。東京・千駄ヶ谷にある東京将棋会館で記者会見を開き、情報処理学会会長の白鳥則郎(東北大教授)から日本将棋連盟会長の米長邦雄に挑戦状を手渡した。

コンピュータ将棋を作り始めてから苦節三十五年
修行に継ぐ修行研鑽に継ぐ研鑽を行い
漸くにして名人に伍する力ありと情報処理学会
認める迄に強いコンピュータ将棋を完成いたしました
茲に社団法人日本将棋連盟に挑戦するものであります

米長は、こう応えた。

挑戦状確かに承りました
いい度胸をしていると
その不遜な態度に感服仕った次第
女流棋士会も誕生して三十五年
奇しくも同年であります
今回は初戦相手を女流棋界の
第一人者清水市代に決定しました
全ての対局運営は女流棋士会ファンクラブ
駒桜が執り行うように委嘱いたします

情報処理学会の「トッププロ棋士に勝つ将棋プロジェクト」(以下、「プロジェクト」と呼ぶ)がつくる、この対決のために練り上げられたシステム「あから2010」が、女流王将清水市代に挑戦する。清水は、史上第1位となる通算獲得タイトル43期、女流棋界の実力者だ。
当日、学会側はアカデミックガウン、将棋連盟側は紋付き袴で、主役の清水市代は着物姿。挑戦状は毛筆書きと、やや大仰な会見だった。
対局は10月11日午後1時から、東大本郷キャンパス工学部2号館で行われる。双方が指し手を決めるために使う持ち時間は3時間で、3時間を使い切ったら 1分未満で指す平手一番勝負だ。平手というのは、ハンディキャップなしで対局すること。3時間の持ち時間は、女流棋戦の平均的なルールだ。ちなみに、将棋界で最高峰の2大タイトル、名人と竜王のタイトル戦は2日間かけて、それぞれ持ち時間9時間、8時間の七番勝負で争われる。
清水と対する「あから2010」は、現在、コンピュータ将棋で最強と言われている4つのソフト、「激指」(開発者・鶴岡慶雅、横山大作)、「GPS将棋」(同・田中哲朗、金子知適ほか)、「Bonanza(以下、「ボナンザ」と呼ぶ)」(同・保木邦仁)、「YSS」(同・山下宏)が協力して、今回の挑戦のために新たにつくるシステムで、東大にあるコンピュータ169台を結合する。
4つのソフトは、電気通信大学伊藤毅志研究室と保木邦仁が開発した合議マネージャーが仲介する。合議マネージャーは、局面を各ソフトに渡し、各ソフトは合議マネージャーに候補手を提出、合議マネージャーが最も多い手を最終的な指し手として提示する。多数決で決まらないときは、あらかじめリーダーと決めたソフトの指し手が採用される。
「あから」は仏教用語の「阿伽羅」から命名された。10の224乗という数を表わす。将棋の「場合の数」、10の226乗にちなんだ。
場合の数というのは、ゲームの始まりから終わりまで、表れうるすべての局面の数を指す。
ちなみにほかのゲームでは、
オセロ 10の60乗
チェス 10の120乗
囲碁 10の360乗
と推計されている。
プロジェクトチームは「99.5パーセントの確率で勝たなければならない」と考えている。最終的な目標は、最も強い人間に勝つこと。清水市代に勝ちコンピュータ将棋の実力を示し、次につなげたいとの思いがある。
対する清水は、「あから2010」との対局をどう受け止めているのか。対局の3か月前にインタビューした際、彼女は「まず、プロ棋士として対戦相手に選ばれたことが純粋にうれしい。プロ棋士として望まれれば受けて立たないとならないですから」と答えた。

http://p.booklog.jp/book/11307

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