佳き人生

さようなら、府中の名物店主
18日の午後6時、府中の杜・市民聖苑まで歩いていった。この街で暮らすようになってから、ずっと世話になってきた「季節料理 ことぶき」の店主・本多光男さんが亡くなったのだ。そのお通夜だった。
年明けの日曜日、テレビを見ていたときに後頭部の動脈瘤が破裂したという。あまりにも唐突の死に、今も信じがたい思いを禁じ得ない。
府中で育った人らしく、光男さんは大の競馬好きだった。競馬関係の友だちと府中で呑む時には、「ことぶき」に連れて行くことが多かった。
相手が競馬好きとわかると、光男さんの話はとりわけ盛り上がったものだ。
時は昭和40年代、海外の競馬についてまだ何も情報のない当時から、欧米から資料を取り寄せては、光男さんは名馬の血統などについて調べていた。その調査は素人の域を完全に超えており、自らの手で作成した血統表が古いノートに記されて、今も残っている。「あの頃はさ、Sがよくオレのところに話を聞きに来たもんだよ」と、誰もが名前を知る有名トラックマンに血統を教えたという。そして、さらに話が盛り上がると、「いや、たいしたもんじゃないんだけどさ」と照れながら、新しい競馬客に古いノートを見せるのが、光男さんのささやかな楽しみのひとつだった。
一つ一つの馬名が、万年筆で、実に丁寧に綴られており、その丁寧さはすなわち、光男さんが胸に秘める名馬への敬意にほかならなかった。
また光男さんはいつも、エプソムダービーを「The Derby Stakes」と呼んだ。「世界中にダービーはたくさんあるけどさ、カワムラさん、“The”を付けた呼ばれるのはあのレースだけだからね」そう言って伝統あるレースにも格別の敬意を示した。
「ことぶき」には全国から選りすぐった日本酒が置いてある。おすすめの酒を、枡に乗せたコップに注いでもらい、懐かしい匂いのする競馬の話を聞く。競馬好き、酒好きにとってはまさに至福の時間であり、それにしても楽しませてもらったなァと、取り返しの付かない寂しさと共に思い返す。悔しい。
そういえば、もうずいぶん前になるが、「明日の朝、一緒に競馬場に行かない?」と誘われたことがあった。光男さんの店にはJRAの職員も数多く顔を出しており、東京競馬場で馬場を歩かせてもらうことになったから、一緒にどうだ、と声をかけてくれたのだ。そして次の朝、東京競馬場の芝コースを、光男さんたちと一周した。開催日ではない朝の、あの雄大な芝コースはシンと静かで、空気が爽やかで、僕たちは何かの主役に選ばれたかのようだった。競馬場の担当の方から、競馬場やコースに関する興味深い話をいくつも聞くことができて、そう言えばあの日、府中という街に、僕はより一層魅せられた気がする。
こうして思い出話をいくら書き綴っても、光男さんの実像、その魅力には迫ることができない。書き手としては確かに歯がゆいが、一方で、僕が尊敬する競馬好きは、それだけ懐の深い人物であったのだ。
通夜のあとは、JRAの友人二人と呑んだ。一人はわざわざ京都から駆けつけた。彼もまた、光男さんの人柄に深く惹き付けられていたのは間違いない。レースで引っ掛かった馬のように僕たちは日本酒をあおり続け、おかげで次の朝、ひどい二日酔いに悩まされた。その19日は、日帰りの栗東取材が入っており、激しい吐き気を必死になって押さえつけながら、なんとか現地にたどり着くことができた。
取材の終了が、葬儀の始まる時間に重なっていた。取材先の厩舎を出て見上げた空は、あの日の東京競馬場に似て、とても青く済んでいて、こんな穏やかな冬の日にも、人は骨に変わっていくんだなあと感傷的に思った。
さようなら、府中の名物店主。天国で、数々の名馬に、どうかよろしく。

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