ドバイワールドカップ回顧

ヴィクトワールピサの蹄が、日本競馬がまた新しいページを開いた。だが、これはまた新しい乗り越えられるべき「限界地」である。しかし、それを乗り越えていくのはやっぱりこの馬なのかもしれない…。4歳春の若すぎる世界チャンピオン。まだこの馬の歴史は始まったばかりだ。
スタートしてやや後手を踏んだ感じのブエナビスタと、ヴィクトワールピサ。一方で、ダート界のスピードスター、トランセンドは楽々と先手を奪って藤田騎手、国内と同様の速さを生かした逃げ切り態勢を整える。だが、向こう正面に入ると中継用にラチの内側を併走していた車にカメラ目線。トランセンド、集中力がないのか、よほどの車好きだったのか…。ともかく、オールウェザーの馬場も全く苦にせずに余裕を見せての追走。ペースはかなりのスローで一団となった馬群。逃げ馬には持ってこいの流れ。藤田騎手もほくそえんだことだろう。
しかし、ここで動いたのはデムーロ騎手だった。ペースが遅いと見るや、トランセンドの強さを知る同騎手。外からまくるようにバックストレッチを駆け上がり、一気に先頭のトランセンドに並びかける。日本馬同士の潰しあいとなり、日本人からするとヒヤヒヤ、KYモノだったが、トランセンド藤田騎手がやや加速を命じると、先頭キープ。デムーロ騎手もそれ以上は競り掛けず、2頭併走の形で落ち着いた流れとなった。ただ、このデムーロ騎手の動き方はこの人らしい。有馬記念(G1)でもそうだったが、ペースが落ちたところでとにかく思い切った動きをする。動くのが早すぎて失速…ということもあるが、この思い切りの良さがなくては今回の日本馬ワンツーという結果はなかっただろう。他方、ここでもブエナビスタは最後方の位置取り。瞬発力に賭ける競馬でムーア騎手は勝負どころを探る。
4コーナー前から、ジオポンティら他の強豪も動き出し、いよいよ前の争いが激しくなりながら、直線勝負。だが、日本のダートで見せるように、トランセンドも譲らない。ここまでのペースを遵守しながら、最後まで粘りとおす、いつも通りのペースキーパーぶりを発揮して、先頭を維持。ヴィクトワールピサもいよいよスパートを開始。外からトランセンドに並びかけて、日本馬同士の叩き合いという夢のような光景。残り300mでヴィクトワールピサが一旦先頭を奪い抜け出すかというところで、再度トランセンドが抵抗。見ごたえのある、互いに日本で発揮していた実力をそのままぶつけ合うマッチレース。最後は、ヴィクトワールピサが何とか捻じ伏せて、日本馬初のドバイワールドカップ制覇という大偉業を達成した。2着はトランセンド。メンバー構成は別として、この大舞台でワンツー。感極まる瞬間。ブエナビスタは展開が合わず、直線外に出したが全く伸びなかった。ただ、この馬は展開など関係なく突っ込んでくるだけに、ここまで見せ場がなかったのは他に要因があるかもしれない。
それにしても、結果もそうだが、抜きつ抜かれつの素晴らしいレースだった。それにしても、この2頭の激突はオールウェザーのない日本で不可能だろう。海外でしか見られないこの対戦。芝・ダート分業化かが進んだがゆえに、我々はこういうカテゴリーの垣根を超えた戦いというのを実は、見逃しているのではないか…。ヴィクトワールピサは海外志向が高く、今後も世界競馬を賑わせてほしいと思うが、トランセンドも初めての遠征で自分の競馬。この馬こそ、面白い存在。是非、北米にも。

http://archive.mag2.com/0000150903/index.html

ヴィクトのチーム力で世界一
ヴィクトワールピサ(牡4、栗東・角居)が日本に勇気を届けた。世界最高賞金を誇るドバイワールドCを日本馬として初制覇。1着賞金600万ドル(約4億8000万円)を獲得した。ミルコ・デムーロ騎手(32=イタリア)や角居勝彦調教師(47)らスタッフ全員が喪章を着けて臨み、悲願の世界制覇を成し遂げた。2着にはトランセンドが逃げ粘り、日本勢のワンツーフィニッシュとなった。
ありったけの力と思いを込め、黒いリボンをつけた右腕を振り下ろした。ヴィクトワールピサを、そして日本を鼓舞するべく、デムーロの右ムチが飛ぶ。ガンバレ。あと少しだ。ガンバレ。約7500キロかなたから届けられた思いも黒鹿毛の背中を押す。世界の猛者たちを従え、ゴールへ飛び込んだ。喝采の指笛が鳴り響くアラビアンナイトに、日本の「HOPE」が結実した。
馬上のイタリアンは握った右手を前へと突き出した。大口を開け、声にならない叫びを上げる。みるみる視界は涙にゆがみ、顔は真っ赤に染まった。そして相棒の速度を緩めると、左手で右肩の喪章に3度触れ、左の人さし指を夜空に天高く突き上げた。
「レース前は日本のために祈っていた。日本を愛してます。アリガトウ」。
今や通訳なしでも日本語の質問を理解するほどの親日家は、この勝利が持つ意味を身に染みて分かっていた。好騎乗も光った。最後方スタートもスローペースを見越し、向正面で迷うことなく逃げるトランセンドに並びかけた。400メートルの直線入り口で先頭へ。ゴールが遠く感じた。「長くて永遠に終わらないかと思った」。自ら手綱をとって2冠に導いたネオユニヴァースの子で、自身初挑戦の大舞台を制した。
角居師もカクテルライトに涙を反射させた。夢じゃない。海外3カ国でG1を制した名調教師も、ドバイではウオッカを含め延べ8頭目の出走で初勝利だ。「諦めなかったから勝てた。だから被災者の方々も大変だとは思いますが、諦めないでほしい。あまり競馬では泣かないけど泣けました。日本のために頑張りたい気持ちがあった」。振り返ればつまずきの連続だった。大学受験に失敗して、何も知らずに働き始めた牧場では馬に乗っては落ちた。助手時代には馬づくりに身が入らず、趣味に走った時期もある。01年の開業当初は、常識にとらわれないスタイルが周囲の失笑を買ったこともあった。折れない心が、母国に希望を届けた。
「チーム・ジャパン」には被災地の宮城・山元トレセンからも、ニュージーランド出身のマーティン・レイニーさんがスタッフとして同行していた。震災の発生はドバイ到着2日後。ヴィクトワールピサも昨年の有馬記念後に1カ月間を過ごした同トレセンは海岸から2キロ未満にあり、津波が寸前まで押し寄せ、停電や断水に見舞われた。自宅の状況さえ分からなくても気丈に働く仲間の姿を見て、陣営の心は1つになった。日の丸と「HOPE」の文字が入ったポロシャツを現地で製作して着用。レース当日は黒い布で喪章を手作りして、騎手を含む日本馬の全スタッフが身につけた。
思いは通じ、ついに世界最高峰のレースを制した。しかも日本馬のワンツーフィニッシュだ。あきらめなければ千夜の夢もかなう。暗く沈む日本へ、遠くアラビア半島からひとすじの光明がもたらされた。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20110328-753756.html

ヴィクト香港から世界制圧だ
ドバイワールドCで日本馬初制覇を果たしたヴィクトワールピサ(牡4、栗東・角居)は今後、国内外の主要G1に狙いを定めて世界のホースオブザイヤーを目指す。5月香港のクイーンエリザベス2世Cから宝塚記念、秋は凱旋門賞からジャパンCへ向かうプラン。2着に逃げ粘ったトランセンドは価値ある銀メダル、ブエナビスタは8着に敗れた。
ヴィクトワールピサの世界制圧プランが具体化してきた。今後は5月1日香港のクイーンエリザベス2世C(G1、芝2000メートル=シャティン)への転戦が最有力。さらに凱旋(がいせん)レースとして6月26日阪神宝塚記念(G1、芝2200メートル)が浮上した。秋には昨年7着の凱旋門賞(G1、芝2400メートル、10月2日=ロンシャン)に再び挑み、11月27日東京のジャパンC(G1、芝2400メートル)へと進むプランが立てられている。
快挙から一夜明けた27日朝も馬体に異常は見られず、角居師は「特にダメージはない。元気もあった」と胸をなで下ろした。香港遠征についてはレース後の会見で市川オーナーが「行きますよ」と明言。このまま日本へは帰らず香港へと輸送される見通しだ。
国内復帰戦は宝塚記念を視野に入れる。オーナーは「先生に任せる」と前置きしながら、レース前の時点から「香港を使ってから間に合えば」と構想を練っている。凱旋門賞についても「行きます」と断言。ジャパンCについては角居師が「使うことになると思う」と見通しを示した。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20110328-753748.html

トランセンド悔しく嬉しい銀
勝者への喝采が鳴りやまぬ中、AWコースから引き揚げるトランセンド(牡5、栗東・安田)の馬上で、藤田騎手はわずかに口の端を上げて笑みを見せた。「日本の馬が勝って良かった」。たった半馬身差で世界制覇を逃したレースから数分後。興奮冷めやらぬうちに発した言葉は、まさしく本音に違いなかった。
日本のダート王として果敢に戦った。9番枠から好スタートを決めると迷わず先頭に立った。併走する中継車に馬が驚いても、向正面でヴィクトワールピサに並びかけられても、ペースは乱さない。余力十分に4コーナーを回った。あとは日本馬2頭のデッドヒート。直線入り口でかわされたが、くらいつき、差し返そうとした。「直線を向いて手前を替えた瞬間に、いったと思った。2頭でやり合っている時はもちろん勝ちたかったけど、ゴールに入った瞬間に日本の2頭と思ったので…」。
2着でも200万ドル(約1億6000万円)。もちろん悔しさはあるが、「チーム・ジャパン」の一員として達成感もあった。この日のレース前には、自らジョッキールームを駆け回ってデットーリやスミヨンら世界一流の騎手に頼み込み、テレビを通じて日本の被災者へ向けたメッセージを送るよう呼びかけた。レース後にはデムーロと抱き合い、笑顔で祝福した。
安田師は「2着で悔しいけどよく頑張ってくれた」と人馬をたたえた。一夜明けた27日も「いつものレース後と同じ感じ」と異常はなし。明日29日に飛び立って30日に帰国する予定で、着地検疫の後は大山ヒルズに放牧へ出される。初の世界挑戦で手にした銀メダル。うつむかなくていい。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20110328-753750.html

ヴィクトワールピサは香港と凱旋門賞、そうしてトランセンドブリーダーズカップへ。