無題

いつの間に私たちは、ここまで来てしまったのだろう。二人の日本人外交官がイラクで無残に殺された現実を前に「ひるむな」「テロに屈するな」と勇ましいことばがあちこちで語られる。自衛隊イラク派遣計画は、その是非をめぐる十分な議論が行われたとも思えないのに、二人の事件後も「いつ決めるか」「いつ出すか」と時期だけが関心事になっている。「ひるまず進め」というムード作りだけに二人の死が使われるとすれば、異論がある。
亡くなった奥克彦参事官は今年8月、テロで破壊された国連バグダッド事務所を訪れ、「イラク便り」に「残った我々が一層力を合わせてイラクの復興に尽力することが、せめてもの餞(はなむけ)でしょう」と記した。一緒にいた岡本行夫首相補佐官に「これを見て引けますか!」と声をあげた、という。
胸を打つこうしたことばの断片が独り歩きし、「遺志を継ぐ」=「自衛隊派遣」と単純に解釈されてしまうのは怖い。
外交専門誌「外交フォーラム」11月号への寄稿を読むと、奥さんが国連の役割に大きな期待を抱いていたことがわかる。
「(イラクの)重荷を米国と一部の連合参加国だけでは、いずれ背負い切れなくなるでしょう。その時、国連という機関の役割が必ずや大きくなってきます」。米国と国連が相互補完関係に立って協力する必要を説いていた。
奥さんが残したことばを「錦の御旗(みはた)」に掲げ、遺志の解釈争いをするわけではない。しかし「『国際社会とテロとの戦い』という構図をイラク復興の中で確立する」という彼の発想は興味深い。
反米武装勢力の狙いは「反米イスラム対親米有志連合」という対立図式でイラクを戦場化することだろう。世界にイラクの現状をいかに認識させるかのイメージ戦争において、ブッシュ米政権は反米勢力に先手をとられている。外国人や米兵が次々に殺される現状を「民主化のためにやむをえない犠牲」とはだれも受け入れない。
この状況では、国連の復権が対立の構図を変える契機になるのではないか。米英占領当局(CPA)を解散し、国連の暫定統治に切り替え、イラク人政府を育てる。「国際社会とテロとの戦い」という新しい構図はそうでもしないと生まれない。
日本政府は近く自衛隊派遣を閣議で決定するという。いま私たちが考えるべきなのは「自衛隊を年内に出すか」「年明けに出すか」という点ではない。「米国の一極支配に世界の平和と日本の安全を委ねる道」を日本が国家路線として選ぶか否かの選択だろう。
世界にはその道を選んだ国もある。だが、国連の役割を重視し、有志連合に入ろうとしない国もある。自衛隊派遣決定は有志連合の中核に加わり、大きく一線を越えて踏み出す意味がある。その重さをもう一度とらえたい。毎日新聞世論調査では「可能な限り早く派遣すべきだ」と答えた人は9%だけだった。
気がつけば、違う時代にするすると引きずり込まれていたという事態を避けるために、二人の死に立ちすくみ、考え込む「勇気」を持つ時だ。
『「立ちすくむ」勇気を』毎日新聞2003年12月2日東京朝刊 外信部長・中井良則