交通科学博物館

戦後初の本格国産機「KAL1」、帰郷 大阪から岐阜へ
昨年閉館した交通科学博物館大阪市港区)が所蔵する小型飛行機「KAL1」が、故郷・岐阜県各務原(かかみがはら)市に「里帰り」した。戦後初の本格的な国産機で台湾へのフライトも果たし、敗戦で禁止された日本の航空開発が再スタートを切った記念碑的な機体だ。交博が閉館後に外部へ収蔵品を貸し出すのは初めてで、当面、各務原で展示される。
昨年12月、各務原市の「かかみがはら航空宇宙科学博物館」。KAL1が練習機「KAT1」の隣に展示された。KAT1はKAL1に続いて開発された兄弟機。「2機並ぶと、やっぱりいいですね」。長浦淳公(あつひろ)館長(54)が笑顔を見せた。
旧陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を開発した川崎航空機工業(現・川崎重工)が、戦後最初に手がけた機体だ。川崎の工場があった各務原には当時国内最長の滑走路があり、多くの戦闘機が初飛行した。
1945年、連合国軍総司令部(GHQ)が航空禁止令を発令。国内での飛行機の研究・生産が禁止された。川崎は多くの社員を解雇。GHQが去った52年に禁止令が解除され、7年のブランクを埋めようと開発したのがKAL1だった。
材料やノウハウの不足を乗り越え、4人乗りのKAL1は53年7月、各務原で初飛行にこぎ着けた。同博物館によると、戦後の国産機としては4機目だが、全金属製の本格的な機体は初めて。2機が製造され、「おかる」と親しまれたという。54年には台湾へ、戦後初となる国産機による海外飛行を果たした。
川崎は社用機として使っていた1機を引退後の66年、交博を所有する旧国鉄へ譲渡。天井からつり下げて展示され、来館者らに親しまれた。JR西日本によると、川崎の社員がKAL1を確認するために、たびたび訪れていたという。
交博に替わって来春開業する京都鉄道博物館京都市下京区)は鉄道展示に特化する。機体の行き先を探していたJR西が川崎と交渉し、各務原への貸与が決まったという。「現役当時の姿のままで保存状態がすごくいい。エンジンもきれいで、整備すれば飛べるほどだ」。各務原の博物館ボランティア、小山澄人さん(43)は目を見張る。
KAL1の設計には、飛燕の主任設計者で、後に国産旅客機YS11の開発にも参加した土井武夫(故人)も関わった。禁止令で失職し、一時は職業安定所で失業手当をもらう日々。KAL1開発では単身赴任していた神戸から岐阜に通い、設計を手伝った。アニメ映画「風立ちぬ」で知られる零戦の設計者・堀越二郎(同)からは、初飛行を祝う手紙も届いたという。
長浦館長は「KAL1は日本の航空史における重要なマイルストーンで、他に代えがたい宝石のようなものだ。航空機や各務原の歴史を伝える語り部になってほしい」と話した。同博物館では2月8日まで、土井の生誕110周年記念企画展が開かれている。
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■貴重な収蔵品まだまだ 閉館の交通科学博物館
交博の収蔵品約6万2千点のうち、鉄道関連は7割。人類初の超音速飛行を達成したアメリカ「ベルX1」のロケットエンジンなど、収蔵品の2割を占めた飛行機や自動車にも「お宝」は多い。JR西は貸出先を探しているが、他に決まった例はないという。

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