ラストラン

トワイライトエクスプレス」最後の雄姿 最終便が出発
大阪―札幌間1500キロを22時間かけて走る人気寝台特急トワイライトエクスプレス」の最終便が12日、JR大阪駅を出発した。四半世紀以上にわたって親しまれたJR西日本の看板列車で、地球470周分、約1900万キロを走った。10日と11日発は悪天候を見込んで運休したが、ラストランは予定通り。「走るホテル」の雄姿を見送ろうと、ホームには約3500人のファンがあふれた。
トワイライトは午前11時11分、大阪駅の10番ホームに入線。一瞬で予約完売したプラチナチケットを手に入れた乗客のほか、カメラを手にした鉄道ファンらが車両を囲み、最後の雄姿を写真に収めた。京都市左京区から来た小崎豊子さん(83)は亡き夫と15年前に乗った思い出の車両に、息子夫婦と一緒に乗った。「もう乗ることがないと思うとさみしい」。横浜市中区の加藤和子さん(68)は初めての乗車だ。「日本海の景色が楽しみです」と笑った。
大阪発の最終便には車掌が3人乗り込み、13日未明予定の青森駅着まで乗務する。職場の先輩に「Twi(トワイ)ラスト」と彫ったはんこを託された。記念の乗車証明書などに押し、乗客に渡すつもりだ。
「この緑色の制服に袖を通すと気が引き締まる」と話すのは、トワイライト乗務歴20年の荻野政宏さん(58)。7月に早期退職する。「トワイが終われば自分も降りようと思った。乗れなかったお客様の分までこの列車を見送りたい」
車内放送を担当する船曵(ふなびき)文徳さん(54)は、午後10時過ぎの「おやすみ放送」が最後の仕事になる。号泣するのでは、と自分でも心配だ。乗務を前に、「列車に『ありがとう』と言うつもりです」と話した。
トワイライトの運行は1989年からで、約116万人が利用した。JR西は車両を当面保管し、団体専用臨時列車としての活用を検討する。
名称は2017年春から山陰・山陽地方などで運行する新しい豪華寝台列車トワイライトエクスプレス 瑞風(みずかぜ)」に引き継がれる。
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トワイライトの札幌駅発の最終便も、同日午後2時5分に発車する予定だ。
■走る厨房、こだわりの味
深緑色の車体がJR大阪駅のホームに滑り込んでくると、食堂車「ダイナープレヤデス」の神野(かんの)友哉料理長(42)らが深いお辞儀で出迎えた。発車まで40分。大量の食材を積み込み、冷蔵庫の限られたスペースに納めていった。
食堂車の大半はテーブル席が占め、厨房(ちゅうぼう)は長さ5メートルほど。その中に調理台があり、食器棚やオーブンがぎっしり並ぶ。シェフはほぼ同じ位置でランチやディナー、最後はスタッフのまかない食まで作る。皿を並べるにも苦労する狭さなので、シェフやウェーターの息がぴったり合わないと料理は冷めてしまう。
ホテルの飲食部門から転職し、トワイライト初乗務は2006年1月。05年末のJR羽越線脱線事故や大雪の影響で1カ月ほど運休し、再開した初日だった。キャンセルでほとんど乗客がおらず拍子抜けしたが、列車酔いを我慢しながら狭い厨房で四苦八苦した。
トワイライトで食べられるディナーはフランス料理。作り置きではなく、ほぼ全て車内で調理する。肉もフォアグラも塊のまま積み、厨房で切って電熱器で火を通す。持ち込むのは、時間をかけて作るソースぐらい。「出来たてのおいしさを提供するのが、トワイライトのこだわりです」
ディナーのコース作成を昨春、上司から引き継いだ。メニューは2〜3カ月同じなので、その間はずっと市場にある魚や野菜をリストアップし、コースを組み立てる。この1年で4通りを考案し、ローストビーフなどの新メニューも加えた。車両が揺れても崩れず、それでいて華やかな盛りつけも研究した。
昨年12月、札幌発の列車。ディナーでテーブルを回っていると、「覚えてますか?」と年配の母娘に呼び止められた。「秋に食べたメニューに感動して、また食べに来たんです」。前回に2人が乗った10月も神野さんが調理し、あいさつを交わしていた。2人から「今回も素晴らしかった」と絶賛されたのがうれしく、「よく切符が取れましたね」と笑い合った。
9年間乗り続け、今は列車の揺れを全く感じずにぐっすりと眠る。車窓から風景を見れば、場所も分かるようになった。琵琶湖が見えたらランチの用意、富山に着いたらディナーの最終準備にかかる。
この日の最終乗車は上司に強く願い出た。人生の4分の1をトワイライトと共に過ごし、4年前に結婚した妻も食堂車のスタッフだった。「もう一生見られない景色になるので、最後はしっかり見ておきたい」。特に、厨房の窓からは見えない日本海側の景色を味わいたいという。

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