続報

川崎の少年3人は「刑事処分相当」 地検が家裁送致へ
川崎市川崎区の多摩川河川敷で中学1年生の上村(うえむら)遼太さん(13)が殺害された事件で、神奈川県警に殺人容疑で逮捕された17〜18歳の少年3人について、横浜地検は「刑事処分相当」とする意見を付けたうえ、勾留期限の19日に殺人の非行内容で横浜家裁に送致する方針を固めた。捜査関係者への取材でわかった。
捜査関係者によると、リーダー格の無職の少年(18)は県警の調べに容疑を認め、「他の2人も暴行に加わった」と供述。無職の少年(17)は「18歳の少年に命じられてやった」と関与を認める一方、職人の少年(17)は「少し離れた場所で見ていた」と説明しているという。
だが、職人の少年は「18歳の少年をたき付けるようなことを言った」とも話し、18歳の少年も「職人の少年が『カッターナイフがある』と差し出したため使った」と供述していることなどから、殺害の共謀を問えると判断したという。
一方、18歳の少年が「現場近くの神社でたまっていたら通行人に注意されて、河川敷に向かった」と供述していることも捜査関係者への取材でわかった。注意を受けて上村さんを含む4人は河川敷に移動。その後、上村さんを裸にして川で泳がせ、殺害したとみられる。使用後のナイフについて18歳の少年は「職人の少年に渡したら、かばんの中にしまっていた」と話しているという。
また、県警は17日、18歳の少年の「事件直後に上村さんのスマホを川に捨てた」という供述をもとに多摩川を捜索し、上村さんのスマホを発見した。

http://digital.asahi.com/articles/ASH3K4FTJH3KULOB013.html?iref=comtop_pickup_02

ゆがんだ家族観に縛られ 尼崎変死、優太郎被告に判決
兵庫県尼崎市の連続変死事件をめぐり、角田(すみだ)美代子元被告(当時64)が自ら命を絶って2年3カ月。「普通の愛情ではなかった」。公判で元被告との日々をそう語った息子の優太郎被告(28)に18日、神戸地裁で判決が言い渡された。
優太郎被告は18日午前10時半すぎ、緊張した面持ちで法廷に入った。黒のジャケット、ベージュ色のズボン姿。弁護人に一礼し、証言台に座った。
増田耕児裁判長が「懲役17年」と言い渡すのを背筋を伸ばして立って聴いた。席に着いて判決文の読み上げを聴き、時折ほおを引きつらせた。朗読が終わると両手をひざのうえで組み、うつむいたり天井を見上げたりした。
■「美代子元被告の復讐が怖かった」
初公判から結審までの28回の公判では優太郎被告の生い立ちが、様々な証言で明らかにされた。
実母は美代子元被告の義妹、三枝子被告(61)。元被告は、三枝子被告が妊娠すれば「自分の子にする」と若い頃から言っていた。1986年、三枝子被告は優太郎被告を産み、元被告の子どもとして届け出た。「断れば、美代子が怒り出して生活できなくなるから」と三枝子被告は語った。
「本当の母親は三枝子やけど、どっちを母親にする?」。優太郎被告が6歳か7歳の誕生日に、元被告は突然、切り出した。泣きながら「どっちもお母さんじゃダメやろか」と聞き返すと元被告に拒まれた。「三枝子被告を選ぶと怒られる」と元被告を選んだ。「(自分が三枝子被告に)なつき始めたのを見て、美代子は気に入らなかったのだと思う」と優太郎被告は公判で振り返った。
「子どもは、どつきまわして育てるんや」。路上で優太郎被告を殴る元被告を通行人が「やりすぎだ」と止めると、元被告は「うちの子に何しても勝手じゃ」と激高した。
物を落としただけで「ダラダラしている」と殴られ、髪の毛をつかんで引きずり回された。3日間、食事を抜かれたこともあったという。小中学校へ行くのも許されなかった。元被告は「学校の勉強は役に立たない。友達は一時的なもの。家族を一番大事にしろ」と言った。
一方、元被告の指示でピアノやバレエを習い、児童劇団にも入った。ゲームや20万円近い競技用自転車も買い与えられた。法廷では、20歳の誕生日を迎えたときに同居の親類縁者からブランド物のバッグやジーパンをプレゼントされ、「お母さん、これ新作ですわ」などと喜ぶ動画や、同居人が暴力をふるわれる前で優太郎被告が大笑いする動画が流された。
「元被告に非常に大事にされていたのでは」と検察官に尋ねられると、「愛情は否定できない。だが、それは自分の方を向かせるための普通でないもの。母親が子にかける愛情ではなかった」と否定した。2012年12月、美代子元被告は留置場で自殺。「これで自由になれる」と思ったが、元被告から怒られる夢をまだ見るという。
美代子元被告らが03年に乗り込み、一家離散に追い込んだ高松市の家族の1人、瑠衣被告(29)と07年1月に結婚。2人の子どもを授かった。父親として関わりを持とうと、拘置所から手紙を書いている。
公判では、後悔も口にした。「警察に通報すべきだったが、美代子の復讐(ふくしゅう)が怖かった」
裁判員裁判、最長の132日
昨年11月7日の選任手続きから判決まで132日。2009年の裁判員制度導入後、今回の裁判は首都圏連続不審死事件(12年、さいたま地裁)の100日を超えて過去最長となった。裁判員6人と補充裁判員4人は28回の公判にすべて参加した。深刻な心身の不調を訴えた人はいなかったとみられる。
神戸地裁裁判員の負担に配慮し、公判を週3日までに抑え、審理1時間をめどに20分前後の休憩をとった。遺体の写真などは見せず、細かな不安や不明点でも遠慮せずに裁判所に相談するよう呼びかけた。
人間関係が複雑な事件のため、検察側と弁護側は頻繁に人物相関図を提示。裁判員が事件の流れを理解しやすいよう、5件の事件は起きた順番に審理した。
■動機、はっきりしないまま
2012年12月、角田美代子元被告は事件について語らないまま、留置場で自殺した。なぜ一連の事件は起きたのか。本人の口から語られることのない謎にどこまで迫れるかが、優太郎被告の裁判員裁判の注目点でもあった。
元被告の「家族」に対する強い執着。周囲で幾人もが死亡する中、元被告への恐怖から警察に通報せず、追従し続けた親類縁者ら。証言からはそんな事件の構図が浮かんだ。
裁判員らは「なぜ事件は防げなかったか」と親族らに繰り返し問い、被告の刑事責任の有無にとどまらず、事件の全体像を明らかにしようとした。
元被告がなぜ家族にこだわり、多くの人が死に追いやられたのか。その動機ははっきりしないままだ。元被告の写真や映像、音声など残された証拠は少なくない。今後控える親類縁者の裁判員裁判でも、元被告と向き合い、真相に近づくことが求められる。(青田貴光)