私は父の晩年にようやくでした

大学で教える父、怒鳴られたのは2回だけ 松坂桃李さん
父は大学の先生で、心理学を教えています。物静かであまりしゃべらないタイプですね。
桃李という名前は本名で、父がつけてくれました。この仕事を始めてから名前の意味を聞かれることが多いんですが、由来を知ったのは実はつい最近。司馬遷の「史記」に出てくる言葉にちなんで、「桃やスモモの木は、実の香りに誘われたくさんの人が寄ってくる。そんな魅力的な男になってほしい」という思いを込めたそうです。
父に怒鳴られた記憶があるのは2回だけ。小学生の頃、マンションの水道を止めたいたずらがばれた時と、「役者になりたいから大学を休学したい」と言った19歳の時。最初の時は怒ると怖い人なんだと自覚した程度で、半分笑い話です。でも19歳の時は、本当の大げんか。父は「芸能界なんてふざけるな」と激怒していました。公務員とか、堅い仕事に就くことを期待していたんじゃないかな。僕は半ば飛び出す形で実家を離れて一人暮らしを始め、その後何年かは、話もしませんでした。
海しかないような神奈川の田舎で育ったので、ずっとシティーボーイになるのが夢でした。都会できれいな建物の大学に通い、帰りがけに代官山のカフェに寄れたらいいな、なんて。そんな何となく生きてきた自分が、初めて自己主張したのが、休学の時でした。父も、そこまで言うなら本気なんだろうと、最後は根負けして認めてくれたんだと思っています。
最近は「おまいさん、いい作品だったな。周りに感謝しろよ」なんて、節目節目にメールをくれます。父に教え込まれ、いま生きているなと感謝しているのが、あいさつと出会いの大切さ。どちらも仕事を続ける上で欠かせないことですから。「ありがとう」なんて、面と向かっては言わないですけどね。
父は酒が飲めないので、ドラマみたいにカウンターで2人で杯を交わすことはありません。正月とかに実家に帰った時、リビングで並んでコーヒーをすするくらい。衝突することもなく、お互い穏やかに話していると、ああ自分も大人になったのかもな、と感じますね。

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よろしいな、そんな父子関係。うちはずっとギスギスしていて父の晩年にようやく穏やかな関係になれました。