無題

「進むべき時、稀勢は知っていた」 内舘牧子さんが寄稿
大相撲春場所稀勢の里の歴史的な逆転優勝で幕を閉じた。手負いの新横綱はなぜ土俵に上がり続けたのか。元横綱審議委員で脚本家の内館牧子さんに寄稿してもらった。
立行司木村庄之助の「譲り団扇(うちわ)」、つまり軍配は、江戸時代から連綿と歴代の庄之助に譲り継がれてきた。その表には次の文言がある。
「知進知退 随時出處」
進むべき時を知り、退くべき時を知り、いつでもそれに従う。
横綱稀勢の里は、13日目に救急車で搬送されるほどのけがを負った。それも「ゴッド・レフト」、神の左腕だ。
なのに、翌14日目に出場。メディアが「強行出場」と報じる中、なすすべもなく負けた。
千秋楽は休場するだろうと誰もが思ったはずだ。14日目のあの負け方では、もはや無理だと本人も認めただろうし、まして千秋楽の相手は1敗の照ノ富士。かつての破壊力が戻っている強豪を相手に戦えるわけがない。その上、逆転優勝するには続けて2番勝たないとならない。こんなことありえない。断定する。1番も勝てない。
だが、こんなことがありえたのだ。稀勢の里は2番続けて勝ち、逆転優勝を決めた。その時、私が真っ先に思ったのは、庄之助の譲り団扇の文字だった。
稀勢の里は、自分が進むべき時と退くべき時を知っているのだと。
多くのメディアも世間も「あきらめない心」とほめたたえ、それはその通りだ。ただ、やみくもに「ネバー・ギブアップ」なのではなく、他が何と言おうと、今は「進むべき時」であり、休場という「退くべき時」ではないと、稀勢の里は知っていた。そう思う。
過去に千秋楽に1日休場したことを、今も悔やんでいるというメンタルな面、また医師やトレーナーとできる限りのことを尽くしたフィジカルな面、それらによる己の「知進」に従った。
いかなる仕事についていようと、いかなる環境下にあろうと、「知進知退 随時出處」という背骨を持っている人間は強い。動じない。
昨今、「ネバー・ギブアップ」ばかりがもてはやされるが、日本には「散り際千金」という考え方もある。退くべき時を知り、それに従って散ることは千金に値するとされる。
稀勢の里の今回の「知進」を見て思った。ずっと先のことだが、この横綱は誰が何と言おうと、己の「知退」に従うだろう。
表情を変えず、痛いと言わず、一徹で、昔の日本人を思わせる。何とも魅力的な横綱が出てきたものである。
今はただただ、故鳴戸親方にその姿を見せたい。

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