3日目

tk33082010-10-05

1限は3年の「進学演習」、3年廊下カントクしながら見守っていましたが、ソコソコできている様子。2限が空きだったので2冊の表を○付け完了。3限は3-4で「食品流通」のカントク。つつがなく終わり、4限は文化祭実施要項の印刷。なんとか4限中にできまして明日ホッチキス止め。その後採点再開して2冊とも採点を終えて成績まで出しておきました。明日の数A3冊を明日中に片付ければ木曜から5連休にできます。うひょひょひょひょ〜。

よ〜し、来年勝とうぜ

フェスタ凱旋門来年も挑む 二ノ宮師意欲
3日の凱旋門賞(G1、芝2400メートル)で頭差2着に健闘したナカヤマフェスタ(牡4)の二ノ宮敬宇(よしたか)師(58)は、再チャレンジに意欲を見せた。日本馬として初めてになる凱旋門賞2年連続挑戦で、さらなる飛躍を期す。
ワークフォースとの壮絶なたたき合いは、ロンシャン競馬場を大いにわかせた。激戦から一夜明けたこの日、愛馬の様子を確認した二ノ宮師は「昨日の夜のカイバも全部食べたし脚元も心配ない。いつものレースの疲れはあるがそれぐらいのもの」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。周囲から「おめでとう」と声をかけられるそうで「おめでとうじゃないんだけど(笑い)。でも、ポッと来たわけでなく、こっちに滞在してトニー厩舎の一員として見てくれているんだろう」とほほ笑んだ。
帰国初戦については「選択肢は2つのどちらか」と師。ジャパンC(G1、芝2400メートル、11月28日=東京)か有馬記念(G1、芝2500メートル、12月26日=中山)になる。そして来年以降、再びこの地へ戻ってくるつもりだ。「2着、2着ということはまだ勉強が足りないということ。またチャンスがあれば来たい」。
すでにドバイも視察済みで、来春の海外遠征も視野に入れる。5日パリ発の便でナカヤマスウェプトと角居厩舎の2頭と同乗し、6日午前に帰国予定。競馬学校での輸入検疫、美浦近郊のドリームファームで着地検査を行い、激戦の疲れを癒やす。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20101005-686770.html

2着フェスタ来年再び海外挑戦も
「第89回凱旋門賞」から一夜明けた4日、勝ったワークフォースから頭差の2着に奮闘したナカヤマフェスタ(牡4=二ノ宮)は、パリ郊外シャンティーのトニー・クラウト厩舎の馬房で疲れを癒やした。7着だったヴィクトワールピサ(牡3=角居)も疲れを見せず元気そのもの。2頭は、6日に帰国する。
クラウト厩舎の門の前に現れた二ノ宮敬宇師(58)は充実感に満ちた表情だった。「馬はよく走ってくれた。欧州の馬は強い。いつまでたっても強いエルコンドルパサー(99年2着)の経験は生きたが他のレベルのことをしなければいけないかもしれない」と語った。残り300メートルで外から先頭に立ち踏ん張ったが、英国ダービー馬にかわされた。蛯名のこん身の左ステッキも及ばなかった。「重量差に敗れたかな。勝ち馬は56キロだからね。でも、それを乗り越えて勝たなければいけない」と唇をかみしめた。
馬はレース後も変わりない。4日朝もカイバを平らげ、軽い運動を消化した。5日にフランスを出国、6日午前7時25分成田着の予定。千葉県白井の競馬学校で輸入検疫、トレセン近郊のドリームファームで着地検査を受ける。「次走の選択肢は2つしかない」と師は話しており、ジャパンC(11月28日、東京)か有馬記念(12月26日、中山)に向かう公算が大きい。
来年は再度海外遠征の可能性もある。二ノ宮師は来仏前にドバイへと立ち寄り、競馬場のタペタ(オールウエザーコース)のコンディションを視察済み。芝かタペタかは未定だが「ドバイ遠征も選択肢に入る」と二ノ宮師は語った。
トニー厩舎の人々は、おめでとうと言ってくれる。日本馬も強くなった。でも、まだ勝つところまではいかないんだ。次への課題も残ったし、また2着ということは勉強が足りないということ。できたらまた来年、チャンスがあれば…」。師の目はリベンジに向けて燃えていた。

http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2010/10/05/02.html

フェスタ2着「もう一度」
大金星を逃した。世界最高峰の舞台に日本馬2頭が挑戦し、ナカヤマフェスタ(牡4歳、美浦・二ノ宮)は最後の直線でワークフォース(英国)とのマッチレースに敗れて頭差の2着。99年にエルコンドルパサーで2着した蛯名と二ノ宮師は、またもや涙を飲んだ。ヴィクトワールピサ(牡3歳、栗東・角居)は7着に終わった。2頭は6日に帰国する。
トリコロールと同じ赤白青の勝負服が、ブローニュの森で躍動した。ロンシャンの下り坂から最終コーナーまで、馬群の真ん中で激しくもまれたナカヤマフェスタ。闘争心を極限までかき立てて迎えた直線、きれいに前が開いた。
内から伸びて先頭に立ったのは英ダービーを7馬身差で圧勝した3歳馬ワークフォース。残り300メートル地点から馬体を合わせ、蛯名とムーアは壮絶な叩き合いを演じた。半馬身の差がわずかずつ縮まっていく。だが無情にも頭差まで詰めたところがゴールだった。
99年に愛ダービーモンジューの半馬身差2着だったエルコンドルパサー。そのときも3・5キロの斤量差が最後に響いた。11年前には号泣した蛯名だが、今回は涙を見せず。「力は出し切れたと思う。勝ちたかったけど、いい競馬ができた。ヨーロッパのチャンピオンレースでこれだけやれたのは収穫。自分自身も舞い上がらず集中して騎乗することができました」と胸を張った。
国内10戦で1番人気に支持されたのは1度だけ。そんなフェスタを「フランスの馬場は合う」と世界最高峰の舞台に上げたのは二ノ宮師の眼力があってこそ。それでも「みんなが努力して2カ月を戦ってきた。馬も成長したし、一度使って随分と落ち着いていた。でも2着という結果はまだまだ勉強が足りないのだと思う」と反省した。
フェスタの宝塚記念制覇にちなんで結成した「チームすみれの花」は、世界の頂点へ半馬身から頭ひとつ分に差を縮め、さらにノウハウを蓄積した。「まだ4歳。もう一度挑戦したい」と蛯名。89回の優勝馬すべてが欧州馬という“難攻不落”の凱旋門賞を、来年こそは攻略する。

http://www.daily.co.jp/horse/2010/10/05/0003507898.shtml

フェスタ大健闘2着!生産界に大きな希望
世界最高峰のレース、凱旋門賞で大健闘の2着から一夜明けた4日、ナカヤマフェスタは滞在先のT・クラウト厩舎でゆっくりと疲れを癒した。日高の小牧場から生まれた純内国産馬の好走で、改めて日本馬の評価が高まっている。帰国は6日。今後の動向にも注目が集まっている。
好走から一夜明けた4日、ナカヤマフェスタはパリ郊外にあるシャンティーの厩舎内で軽めの運動を消化。前夜に続いて朝のカイバもペロリと平らげ、元気な様子を見せた。
エルコンドルパサーで得た経験は生かせましたが、勝つにはもっと違うことをしなければいけないのかな、と感じました」
愛馬の状態を見届けた二ノ宮調教師は、ホッとした表情の中にも新たな課題を見いだした様子。この日のシャンティーでは、2着でも祝福する声が多く聞かれた。二ノ宮師は「前哨戦から滞在して、こちらにとけ込んだ成果が出たからでしょう。1週間かそこらでは“おめでとう”と言われなかったと思います」と感慨深げだ。
この好走は日本の生産者にも大きな希望を与えた。日高地区の決して規模の大きくない牧場に生まれて、1050万円(税込み)で取り引きされた馬のサクセスストーリー。「僕も牧夫として小さな牧場で働いたことがあるので、苦労は分かります。励みになるでしょうね」と二ノ宮師は目を細めた。460キロ前後と牡馬にしては大きくない馬体で、59・5キロを背負ったステイゴールド産駒の好走。“純日本産馬”は生産界をも勇気づける走りだった。
5日にフランスを出国して6日に帰国するフェスタ。次走については、「年内に使うなら2つでしょう」と二ノ宮師はジャパンC(11月28日、東京、GI、芝2400メートル)と有馬記念(12月26日、中山、GI、芝2500メートル)への参戦を模索しているが、あくまでも「回復具合を見て決めたい」と明言を避けた。同厩のエルコンドルパサー凱旋門賞を最後に引退したが、トレーナーはフェスタを「未知の馬」と評価。来年3月のドバイワールドCデーも視野にあり、今後もさらなる飛躍を期する構えだ。次につながる大きな2着を胸に、日本が生んだ小さなスターホースは2カ月滞在したフランスを後にする。

http://www.sanspo.com/keiba/news/101005/kba1010050504008-n1.htm

よし、来年勝とう。

それにしても思うのは・・・

平成10年(1998年) 第49回毎日王冠(GII)
サイレンススズカ VS エルコンドルパサー
異次元のスピード体験
1998年 第49回毎日王冠GII

ターフを疾走するサラブレッド。なんとも自由そうで羨ましく思えるが、レースでは騎手の指示に従わなければならないし、もちろん自分勝手に走っているわけではない。ところが、かつて自らの気持ちのままに走ることを許された1頭の馬がいた。スピードの天才、サイレンススズカである。
その天才も4歳時(旧年齢表記、以下同じ)は苦労した。弥生賞でゲートをくぐろうとして外枠発走になり、大出遅れ。ダービーでは好位からの競馬を試みるも、折り合いを欠き惨敗と、当時の彼は精神面の幼さが抜け切らず、レースで結果を出すことができなかった。そんな苦悩から解放される転機となったのが、武豊騎手と臨んだ香港国際C。大逃げを打って僅差に粘ったレース後、「サイレンススズカの好きなように走らせるのがベストではないか」という結論に達した。そして翌年、サイレンススズカはスタートから超高速ラップを刻んで逃げはじめた。すると、オープン特別、中山記念小倉大賞典金鯱賞宝塚記念と5連勝。ただマイペースで走るだけで後続はついて行くことができなかった。“スピード”という才能がついに花開いたのである。
夏を厩舎で過ごしたサイレンススズカは、次の目標である天皇賞(秋)へ向けての始動戦に毎日王冠を選んだ。ここには4歳の外国産馬、ともに無敗のGI馬であるエルコンドルパサーグラスワンダーも参戦、世代を超えた対戦に注目が集まっていた。しかし、サイレンススズカを管理する橋田満調教師は自信をもって「まあ、競馬場に見に来てください」とコメントした。果たしてその言葉通り、13万人の大観衆はサイレンススズカのワンマンショーに酔いしれることになる。いつものように軽快に逃げると、4コーナーで差を詰めてきたグラスワンダーを直線であっさり突き放し、かわって馬場の外めを追い込んできたエルコンドルパサーも余裕で2馬身半抑え込んだ。後に“グランプリ”3連覇を達成するグラスワンダーと、この年のジャパンカップに優勝、翌年フランスでG1制覇、凱旋門賞も2着と好走するエルコンドルパサーに、影も踏ませず圧倒したのだ。
本当に強い馬に戦術は必要ない、己のラップを刻めばいい。そう言わんばかりのサイレンススズカの走りは、競馬の常識を覆す無限の可能性を秘めていた。だからこそ次走、天皇賞での出来事は痛恨だった。最終コーナーで左前脚骨折、予後不良。あの悪夢のような事故から9年が過ぎた。彼の走りを見たことのない競馬ファンもいるだろう。もし、チャンスがあれば、ぜひサイレンススズカのレースを見てほしい。そこにはサラブレッドの「走る」という本能が剥き出しにされた、異次元のスピード体験が待っているのだから。

http://www.jra.go.jp/topics/column/meibamen/2007/tme07_1009.html

それにしても思うのはサイレンススズカ凱旋門賞に出ていたら、ということ。勝ってたかなあ。