靖国神社まとめ

全体を見て思うのは古き佳き日本人が持っていた凛とした佇まい。かつて「靖国神社で会おう」と言って死んでいった人たちがここで再会を果たし、そうして遺族のみなさんがここに「あの人が眠っている」とお参りに来るのだから、いろいろ問題はあるけれど・・・なくてはならない場所なのかなあと。
最後に引用。

日本終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている。
1945年に日本を占領したGHQは、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父に意見を求めることになった。
ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」とし、「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」とまで言ったという。そして次の言葉で締め括った。
靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」。この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E6.96.BD.E8.A8.AD.E3.83.BB.E5.BB.BA.E9.80.A0.E7.89.A9