人に歴史あり

恩人との再会
僕を観た瞬間、おどけるように首を傾け、満面の笑みで歩み寄って来てくれた。ガッチリ握手したものの、「ハグせなあかんな〜!」と声を上げ、抱き合った。阪神タイガースの新しい野手チーフコーチに就任した岡義朗氏との感動の再会だった。
2008年の日本一が西武に決まった翌日の11月10日、阪神の秋季安芸キャンプに取材へ行った。真弓新監督の下、唯一の外部招聘コーチが岡氏だ。広島カープのファームの総合コーチをしていたが、真弓監督の強い要望もあり入閣、カープの若手寮に荷物を残したまま、安芸キャンプに加わっているそうだ。(カープでは若手寮の寮長も兼任していた)岡氏とは99〜01年の3シーズン、ラジオの近鉄戦を中継していた頃に「実況&解説」として一緒に仕事をした。フリーアナウンサーになり、念願だった「プロ野球の実況」を担当していたものの、当時の僕は「野球への理解度の低さ」や「実況スキルの無さ」、「解説との会話が盛り上がらない」など悩み苦しんでいた時期だった。やりたかった仕事で、この程度のパフォーマンスでは、「とてもこの先やっていけない、むいてないのかな・・」と真剣に考えていた。そんな頃に阪神のスコアラーから解説者に転身して、新たにスタッフに加わったのが岡さんだった。自身も初となる放送の仕事にいろいろ不安を抱いていたようだ。たまたま、春季の日向キャンプでマンツーマンとなったこともあり意気投合、取材も食事もサウナも飲み会も、取材中の3日間は、寝る以外はずっと一緒に過ごした。その時に「野球への様々な視点」を教わった。ボールカウント別のバッテリー心理や打者心理、アウトカウント別の守備隊形、盗塁の狙い方・阻止の仕方、数え上げたらキリがないくらいたくさんの野球の“深い考え”を教わった。また、幅広い人脈の多くを僕に紹介してくれた。当時の梨田監督(現日本ハム監督)とは高校時代からの親友ということもあり、一緒に呑む席に誘っていただいた。放送でコンビを組んだ時も僕の問いかけをすべて受け止め、話を面白い方向に導いてくれたおかげで、僕は安心して放送に臨むことができた。僕にとっては「野球実況の大恩人」であり、岡さんとの出会いがなかったら、“現在の自分”はないと思う。
02年にオリックスのコーチとして現場復帰し、放送でご一緒することはなくなった。その後、04年に広島へ戻ることとなり、顔を合わせることはなくなったが、電話や年賀状などで連絡は取り合っていた。
その岡氏が再びタイガースのユニフォームを着ることになったのである。すぐに電話したかったが、忙しいだろうし、秋季キャンプでお会いできるだろうと連絡するのをずっと我慢していた。実際、岡さんも「電話せなあかんと思ってたんやけど・・」と。広島にいたこともあり、僕がタイガースのCSの中継に携わっていることを知らなかった。したがって「近鉄なくなって、野球の仕事続けてるか、よくわからんかったから電話していいものかどうか迷ったんよ」と“岡さんらしい”『気遣い』をしてくれていたようだ。僕がタイガースの中継を担当していることを言うと、「お〜、立場は違うけど、また一緒の現場で仕事できるなあ〜」と喜んでくれた。僕にとって「大恩人」との再会を楽しみにしていたが、僕の想像以上に、再会を喜んでくれたことが本当にたまらなく涙が出るほど嬉しかった!2009年阪神タイガースの中継は、今まで以上に“熱い気持ち”を注入して、『応援実況』することになりそうだ。

http://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/keiba/teranishi/2008/11/post_424.htm