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デピュティ陣営に気迫/鈴木最後の聖戦
木曜で栗東での取材も終わり。20代前半の駆け出し時代、毎週のように東京から出張し、いろいろな経験をした。いわば記者の「原点」ともいえる場所を去るのは、何とも言い表せない思いがある。
ボールドエンペラー(98年ダービー=2着)を担当していた村上忠正厩務員は今、荒川厩舎で汗を流している。初めて顔を合わせたのは中村均厩舎時代、昼間から一升瓶を空けさせられた。翌朝まで使い物にならず、先輩の栗田記者に迷惑をかけた。「みんな、いなくなってしまうな…」と寂しそうな顔をした。
テイエムオペラオーの岩元師には「頑張ってくれや」と肩をたたかれた。番記者としてネタに困ると、独特のぼやきで話題を提供してくれた。最後に差し出されたマムシの右手は、小さいが、厚く、温かかった。
思い出に浸ってばかりはいられない。そろそろ天皇賞の取材を締めくくらなければならない。唯一の木曜追いをかけたのがエイシンデピュティ菊花賞ジョッキーの浜中を背に坂路で猛時計を出した。「やりすぎだ。輸送もあるし53秒ぐらいでいいと思っていた」。ぼやく野元師は、言葉とは対照的にニコニコだった。オールカマー脚部不安による長期休養から復帰した。今のところ脚元の調子はいいが、再発の危険が完全に消えたわけではない。1戦1戦が必勝態勢。野元師の「オーナーをはじめ、天皇賞を目標にしてきた」の言葉に偽りはない。2週連続の51秒台で攻めてきたことが、間違いなくメイチ勝負を感じさせる。出走馬の取材をしていて感じたのが、意外に先を狙っている馬が多いということだ。JCであったり有馬記念であったり、「天皇賞を勝ちにきた」という意欲を押し出す陣営はそれほど多くない。だからこそ、デピュティ陣営の「目標」という言葉が重い。気迫の調教に印を回したくなった。狙ってきたという点では関東馬のシンゲンも負けてはいない。先週、美浦で取材した斎藤助手は「府中の2000はベスト条件。先生も春先から天皇賞を目標にしていた」という。盾にピークを持っていくにはどうすればいいか? 得意の東京の毎日王冠でなく、実績のない中山のオールカマーを前哨戦に選んだのも、そのためだ。徳江助手が「ここは目標にしていたレース」と言うキャプテントゥーレは、道悪でも果敢に攻めた水曜日の追い切りが圧巻だった。武豊が「求められるのは1番だと思う」と言うウオッカは別格としても、明らかに勝負気配を感じさせるのはこの3頭だ。
「展開」「勝負気配」の2つに、府中2000メートルでは避けられない「枠順」を総合し、最後の◎を決めたい。要素は出そろった。後は決断するだけだ。

http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20091030-560941.html

鈴木記者は競馬から野球へ転出。最後の予想でエイシンデピュティに重い印を打ってくれたらうれしいなあ。