合掌

浅倉久志氏、逝去。
翻訳家の浅倉久志氏が2月14日に逝去されました。79歳。
主訳書にカート・ヴォネガット・ジュニアの『タイタンの妖女』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『高い城の男』『スキャナー・ダークリー』、マイクル・クライトンの『アンドロメダ病原体』、ウィリアム・ギブスン『スプーク・カントリー』、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアたったひとつの冴えたやりかた』『輝くもの天より墜ち』などがあります。
浅倉氏は、海外SFを日本に根づかせるためにたいへんな功績を残されました。浅倉氏の翻訳や紹介でSFのおもしろさを教えられたファン・作家・評論家は数知れません。SFの評論では、ジュディス・メリル『SFに何ができるか』や、オールディス&ウィングローヴ『一兆年の宴』などを翻訳しています。
映画や音楽やスポーツにも造詣が深く、英米のユーモア小説も精力的に紹介してきました。ポーリン・ケイルの映画評論集『映画辛口案内』、マイクル・シャーラの野球小説『最後の一球』の翻訳や、『グラックの卵』や『ユーモア・スケッチ傑作展』といったアンソロジーなどの編訳書もあります。ほかにも、ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン『古書店めぐりは夫婦で』といったノンフィクション、ロン・グーラートやリチャード・ティモシー・コンロイのユーモア・ミステリなど、多方面の翻訳で活躍してきました。
さらに、「あとがき」やエッセイの名手でもあり、その文章は、『ぼくがカンガルーに出会ったころ』というエッセイ集にまとめられています。
心から、ご冥福をお祈りいたします。

http://www.hayakawa-online.co.jp/news/detail_news.php?news_id=00000325

柴野さん、浅倉さん
親しかった人が次々と旅立っていく。柴野拓美さんは「宇宙塵」を発行して日本SF界を育てた人。毎月柴野さんの家に第一世代から第二世代のSF作家たちが集まって和やかにお話をしていた。私は「X電車で行こう」を書いてからSFというものを知ったので、多くのことをその会合で教えてもらった。ずっと後に私がサンリオSF文庫の編集顧問をするようになったとき、柴野さんのためにクラークの「スリランカから世界を眺めれば」という評論集を用意して翻訳してもらった。柴野さんにはアーサー・C・クラークが別格的作家だった。
浅倉久志さんもクラークが理想で浅倉久志というペンネームはアーサークラークシーに漢字を当てたものだった。でも、私とはフィリップ・K・ディックの最初の理解者としてお互いに信頼感を抱くようになった。当初はディックがアイデアストリー作家と考えられていて、実際にそういう作品ぱかりが翻訳されていた。今では誰もが知っている「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」も浅倉さんが訳した時にも周囲には私以外に絶賛した人はいなかった。サンリオSF文庫ではディックの全作品の版権を取ったが、たくさんの翻訳を抱え込んでいた浅倉さんは一冊も訳さなかったように思う。そのかわり「NWSF」にはメリルの評論や短編を原稿料なしで訳していただいている。柴野さんは大正の生まれだから長生きといえるだろうが、浅倉さんには早すぎた死となった。お二人ともバランス感覚の良い調和を好む人だった。合掌。

http://yamanoweb.exblog.jp/

そうかあ、朝倉さんが亡くなっていたのですな。むかし「翻訳家もええなあ」と思っていたとき、目標というか「あんな翻訳をしてみたい」と思っていたのが朝倉さんでした。つつしんでご冥福をお祈りいたします。