職人気質

tk33082010-03-22

海外全線飛行・地球800周…日航、名物機長が引退へ
日本航空のジャンボ機の機長・小林宏之さん(63)が20日、ラストフライトに向け、ハワイへ飛び立った。日航が運航したすべての海外路線を飛んだ最初で最後の機長だ。定年後も後輩に安全運航の大切さを教えてきたが、経営破綻(はたん)で人員削減を進める日航にあって、例外ではなかった。「日航は必ずよみがえる」という手応えを感じながら一線を退く。
「新年度の契約はありません」。1月、人事部門から言い渡された。2006年に定年を迎えたが、後輩を指導する「特別運航乗務員」として1年契約を更新してきた。会社更生手続き中の日航。16〜17日には、2700人を予定していた特別早期退職の上積みを公表した。日航本体の全機長と35歳以上の副操縦士の約2300人も対象だ。
羽田空港は10月に新滑走路が完成し、国際線が頻繁に発着するようになる。「契約の上限の65歳まで続け、新しい羽田から飛びたい」と考えてきたが、引き際と受け止めた。
日航が海外委託して自社養成した1期生の機長だ。1968年に入社後、米国サンディエゴで資格を取得。81年に機長に。日航によると、総飛行時間は約1万8500時間で、地球800周分に相当する。離着陸した海外の空港は65。採算面から廃止された路線も含め、海外の全路線を飛んだ唯一の機長だ。
湾岸戦争前の90年には、クウェートからの邦人救出機を操縦。首相特別機の機長として故竹下登海部俊樹小泉純一郎の3首相も乗せた。一方で、72年のモスクワでの日航機墜落事故では、直後の便に乗務。遺族らを連れて帰る役目になり、安全について改めて深く考えた。
経営危機に陥った日航を、「組織間に壁があり、意思決定が遅れる。世の中の流れについていけなかった。自分も含め、社員も内向きだった」と話す。
一方で、変化も感じている。
1月以降もフライトの合間に若手の相談相手になってきた。「会社更生法の申請前後は動揺もみられたが、今は安全運航に向けて社内がまとまってきた」。今月15日には、入社1年の若手有志が「経験を聞かせて欲しい」と持ちかけ、成田空港で講演会を開催。約120人が集まった。「各職種が今までにないほど連携している。若手が必ず復活させてくれる」と話す。
ラストフライトはハワイのホノルル便。20日夜に中部空港から飛び立ち、22日夕に成田空港に戻る。会社から打診された行事は断った。「安全運航に個人的なことは邪魔。いつも通り臨みます」

http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY201003200377.html

38年間同じガッコに勤め、全学年を教えた。なんて今どきはあり得ないけれども、昔ならこんなセンセがどこのガッコにもゴロゴロいました。嗚呼、古き佳き昭和よ。