牧さんのブログ

反権力の高級官僚・高橋政行さん、逝く
尊敬する「反権力の官僚」高橋政行さん(前JRA理事長)が31日午前4時すぎ、東京・虎ノ門病院で亡くなった。70歳だった。
29日の日曜日、虎ノ門病院に見舞いに行った時はスヤスヤ眠られていたので・・・それが30日夕方、彼の秘書だったK君から「血圧が下がって・・・医師は特別の延命措置はしないと言うので、今夜がヤマだ」と連絡があった。
一晩中、奇跡を祈っていたが・・・ダメだった。
清潔な人だった。岐阜県の寒村? の出。1963年東京大学法学部卒業。農林水産省入省して官房長、食糧庁長官を経て農林水産省事務次官就任。高級官僚の花道を歩いた人だった。
でも、退官後は浪人。一年間、四国巡礼の旅。請われて99年JRA(日本中央競馬会)に就任した。
その時、JRAの運営委員だった僕は「反権力の官僚・高橋政行」と知り合う「幸運」を得た。
頑固だった。JRAに対して、多くの政治家が利権を求めてやって来る。これまでは(一部ではあったが)政治家の言いなりだった。
高橋さんは違っていた。政治家の申し出は全てNO! だった。政治家のアイデアというだけで断った。
JRAはファンのもの。政治家の食い物にしてはならない! それが彼の信念だった。
気があった。夜、僕の仕事場へやって来ては午前2、3時まで飲んだ。(飲んだと言っても、飲んでいるのは高橋さんだけ。素面で付き合った)
最初に仕事場にやって来たときのこと。午前2時まで専用車を待たしていたので、僕が「運転手の生活はどうなるんだ。タクシーにしろ!」と怒りだしたこともある。ちょっと彼には「世間知らず」のところもあった。
高橋さんは総じて「利権の政治家」に嫌われた。しかし、彼は、周囲の善意の人から確実な支持を得て、何と8年も理事長を務めた。これは最長不倒距離である。
勉強させて貰ったことがある。政治家が落選すると、彼は必ず「激励会」を開いていた。落選組は感激した。落選した議員が返り咲き農水大臣になったこともあった。
JRA理事長の後任に、農水省は次官を! と主張したが、高橋さんはプロパーの土川健之・副理事長を推薦した。この人物もずばぬけていた。生え抜き職員初の理事長就任にJRAの内部は沸いた。
高橋さんの8年で変わったこと。馬券の種類が増えた。高橋さんの就任時は単勝複勝と枠番連勝、馬番連勝しかなかったが、99年秋のワイド導入を皮切りに、02年夏季競馬から馬単3連複が加わり、04年秋季競馬から3連単も全国展開された。
競馬法改正で学生の購入制限が外され、革命的なことが次々に進んだ。もちろん、国際化の進展も着実に進んだ。天皇陛下が競馬場に来られたのも、高橋さんの力が大きかった。
高橋さんが特に立派だったのは、何か事が起きても、世間がどう批判しても「メディアが批判するのは当然のこと」と泰然としていた。どんな悪口を書かれても、記者との接し方が変わることはなかった。
大人物ではあるが、子供のようなところもあった。ちょっぴり好き嫌いが激しい。酒はお燗しか飲まない。人間関係でも若干、好き嫌いが激しかったように思う。
京都でバッタリ会った時である。「今夜、一緒に飲もう」と言われたが・・・「先約がある」と断ると、機嫌が悪くなり往生したこともあった。子供みたいな人でもあった。
高橋さん! なんで、先に逝ったんだよ? もっと、自分勝手に、わがままを言って欲しかったのに・・・。
思い出はたくさんある。出来の悪い新聞記者の僕が、正義の官僚に教えられた数々。僕は、良い「人生の先輩」に出会った。幸せだった。
今夜は「子供みたいな高橋さん」を忍んで、しみじみ飲むか!

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