こういう声もある

JC降着劇の伏線
昨日は1日、競馬場のスタンドにいた。今回のJCには、僕の興味をそそる馬がおらず、「レースについて書け」との依頼もなかったため、JCのゴール後も検量室前に足を運ぶことはなかった。
つまり、僕が持つ情報は一般のファンと何ら変わらない。そうした状況の中、昨日の降着劇について、感じたことを書いておく。
繰り返すが、以下の一文に関しては一切の裏を取っていない。独断と偏見に満ちた「私見」であると、どうかご理解いただきたい。
JC降着劇の伏線になったのは、昨日の東京4レースであった気がする。
そのレースで、1番人気はスミヨン騎手の乗るダノンウィスラーだった。直線で狭い内にもぐり込んだ進路選択に目を見張った直後、一方で、あの狭いポケットをどうやって抜け出すのだろう、と思った。
真横にいたのが、武豊騎手の乗るマテンロウカフェ(2番人気)だ。
映像を見て感じたが、武は、ダノンウィスラーを内に閉じ込めようと狙ったのか。しかし、さすがスミヨンも世界の名手だ。進路をこじ開けるため、マテンロウカフェを強引にも外に弾き飛ばした。
こうした激しさのある騎乗やレースを、競馬を見る根本として僕は大いに歓迎する。
ここに少し余談を挟むが、外に振られたマテンロウカフェは、さらに外のシンボリドンナーにぶつかり、そこで走る気を失っている。
――どうして審議にならないの?
見ていて、不思議でならなかった。まわりの友人も同意見だった。僕が武なら、採決に対して怒りを覚える。もしかするとその怒りが、JCで再燃した可能性がある。
さて、JCに話を移そう。
最後の直線、これはパトロールフィルムで明らかなとおり、ブエナビスタローズキングダムが激突した。
――またか!
武はそう思ったはずだ。
激突の直前、武は右ムチを馬に入れている。こちらも右ムチの入ったブエナビスタローズキングダムに接近したのは確かだが、一方のローズキングダムもその後、ブエナビスタの方に寄っているように見える。ギリギリの戦いを繰り広げる馬が「よれた」だけなのか、それとも、4レースのことがあっただけに、何くそと思った武が「ぶつけにいったのか」は本人のみぞ知る。
しかし、4レースの攻防が何らかの影響を及ぼしたのは、まず間違いないと思う。
そして、その時、内側から姿を見せたのがギュイヨン騎手の乗るヴィクトワールピサだった。ヴィクトワールピサに外への斜行によって、ローズキングダムは再度ブエナビスタにぶつかった。
今一度の余談を挟めば、この日の4レースで明らかなとおり、外→内の斜行に比べて、内から外へ出る際の斜行にJRAの裁定は甘いようだ。
さらに言えば、「前を横切った」騎乗には過剰に反応するが、馬同士のぶつかり合いに対してはあまり反応しない。
こうした差がどうして生じるのか、見る側がどうとらえればいいのか、僕にはよくわからない。
30年近く競馬を見ていてわからないのだから、ほとんどの人に同じはずだ。だから、ファンに対して、JRAは言葉を尽くすべきなのだが、そうした姿勢はいまだ見られない。僕ら風情がいくら指摘したところで、かたくなな姿勢に改善の気配はない。
こうも思った。
ヴィクトワールピサのギュイヨンに対しては、わずか「過怠金1万円」で済まされているが、ブエナビスタ降着と比較したとき、その軽さに、格差に、納得できる観客など1人もいないはずだ。ならば、そこについても説明を加えるのが、主催者にしてみれば当然の責務だろう。
新聞報道によれば、ローズキングダムとの接触が原因でブエナビスタは手前を替え、その影響でさらに内によれたという。その時、ローズキングダムの前をカットする形になった。斜行は確かだが、実際のところ、これはさまざまな要因による。
ヴィクトワールピサの斜行の影響も無視できない。であるならば、こんな時こそJRAお得意の、「いくつかの動きにより……」で済ませて良かったのではないか。個人的には、降着にはすべきではなかったと考えている。
別の観点でものを言えば、手前を替えたブエナビスタがさらに内によれた瞬間、スミヨンは即座に左ムチを入れた。
この反応がすばらしい。さすがと思わないわけにはいかない。そうした騎乗技術も含めて、JRAはレースをきちんと解説すべきなのだ。それこそが、ピンチをチャンスに変える姿勢ではないか。なのに、大切な機会を喪失し続けている。もう少し言っておけば、ものごとをそんなふうにとらえられないようでは、現在の苦境など脱出できるわけがない、とも思う。
さて、審議が始まった。
武は採決委員に、おそらく猛抗議したはずだ。4レースでの伏線があったから余計である。
同じ時、今回のように待たされ続けると、常日頃のJRAの説明不足は、われわれファンに余計な推測を生む。
――JRAは、単に騎乗の是非を問うているのではなく、  諸事情を考慮の上、判断しようとしているのではないか。
ついそう感じてしまうのだ。
被害を受け、採決に抗議した(であろう)騎手が武でなかったら、はたして降着処分はあったのか。被害を受けたのが、初来日の外人騎手やデビュー間もない日本人騎手だったとしても、同じ処分になっていたのか。
さらに、こうも感じる。
降着処分を下しても、今回は1着・2着が同じ馬主だったから、軋轢が少ないと感じたのではないか。
ハナ差の2着がヴィクトワールピサであったとしても、同じ処分にしていたのだろうか。
この手の憶測を生まないためにも、密室での審議などさっさと辞めて、すべてをオープンする方向に切り替えていかねばならない。時代がそういう方向に向いているのに、競馬だけがいつまでも例外でいられるはずがない。
さらに、決着のついたあとのことだ。本来は身内であるはずの調教師からも、こんな声が上がった。
「なんで自分たちだけで決められないのか。だから時間がかかりすぎるのだ」
その言葉は、もはや現行のシステムが、本当の意味での限界に来ていることを広く知らしめた。
これで改革に乗り出さないようであれば、日本の競馬がさらなる縮小に陥るのは日の目を見るより明らかである。
JRAは、本来あるべき採決の姿と、ファンの望む方向へ近づく絶好の機会を得た、と思うべきだ。
改革自体は、決して難しいことではない。
以前、拙著『JRAディープインサイド』に書いた内容と重複するが、何より大切なのは「説明しようとする姿勢」なのだ。場内のビジョンに、グリーンチャンネルに、くだらない映像を流している時間があるなら、採決委員がそこに登場して、映像を見ながら解説すればいい。審議になったレースとならなかったレースの違いを、降着になった騎乗とならなかった騎乗の違いを、できるかぎりの言葉で説明すればいい。ただそれだけのことではないか。
われわれファンはバカではない。レースにおける裁定がいかに難しいかなど、とっくに理解している。個別の事象に対する説明が万能でないことも、承知している。欲しいのは、真摯に説明しようとする姿勢であり、そこにこちらも疑問をぶつけ、双方がもっと納得できる方向へ進もうとする努力だ。JRAが拒み続けるほど、それは難しいことだろうか?
何も説明しない姿勢がファンの心をどれだけ冷やしていることだろう。
――馬券を買うなどバカらしい。
そんな気分を助長しているのは言うまでもない。
競馬場から帰ろうとした時のことだった。
場内のモニターに審議場面のパトロールフィルムが流れていた。人だかりがそこにでき、みんなが真剣に映像を見つめていた。しかし、画面にはただ映像が流れ、「審議の結果、16番は第2着に降着となりました」と文字が見えただけである。
「ちゃんと説明してよねえ」
近くにいた若い女性が、絞り出すような声で言った。これ、決して作り話ではない。
その声を、ファンの深い叫びとして受け止めるJRA職員は、果たしてどれくらいいるのか。JRAの内部に、侃々諤々の議論が湧き起こることを心から願う。

http://blog.livedoor.jp/racecourse_ave/