首都陥落前夜

銃撃戦・政府ビルに火…リビア脱出の日本人男性語る
反体制派と政府側の銃撃戦が続くリビアの首都トリポリを現地時間の24日夕方に脱出した日本人男性が、朝日新聞社の国際電話による取材に答え、混乱する現地の様子を語った。市内では夜になると銃声が響き、政府関係のビルには火が放たれていたという。
男性は川崎市在住の会社員牧紀宏さん(48)。14日から社用でトリポリ中心部にあるホテルに滞在していた。
牧さんによると、市内で銃声が聞かれ始めたのは、21日午前0時ごろから。「生まれて初めて聞く銃撃戦の音に、ただ部屋の中でじっとしているしかなかった」。その後も毎夜、銃撃が始まり、激しさを増した。「タタタ」という連射音、「パンパン」という単発の音に加え、「ドーン」という砲弾のような音も聞こえた。滞在したのは2階の部屋。じかに銃撃の様子は見えなかったが、銃声が近づくとカーテンを閉めてあかりを消し、部屋が狙われないようにした。
ホテルの朝食は日に日に品数が減った。パンが無くなり、トマトなどの野菜がなくなり、最後はコーンフレークだけになった。
会社の現地事務所に荷物を取りに行くため、現地スタッフの運転する車で外出した。警察署や政府関係のビルは火を放たれたのか、壁が黒く焼けこげ、窓ガラスは割れていた。破れかけたカダフィ大佐肖像画も見た。
23日、いったん空港に向かったが、予約した便には搭乗できなかった。「数千人の人々が殺到していて、搭乗手続きがまったく進まなかった」。日本大使館の職員が国旗を掲げて牧さんを誘導したが、無駄だった。人々が将棋倒しになり、血を流す場面にも遭遇。身の危険を感じてあきらめ、午後5時にはホテルに戻った。暗くなって銃撃が始まるのが怖かったからだ。
牧さんによると、日本大使館からは23日夜、在留邦人に「24日中に国外退去してほしい。チャーター機を手配しているが、飛ばない可能性もある」とメールで連絡があったという。
しかし、牧さんは自身が体験した空港での混乱から、「あいまいな(政府の)チャーター機に頼るより、自力での脱出を考えた方がよい」と判断。24日、現地スタッフと日本人社員5人で空港に向かった。1人はローマ行きの便、牧さんら4人はイタリア半島の南に位置するマルタ行きの便に搭乗できた。現地スタッフがアラビア語で航空会社と交渉したことが功を奏した。
牧さんがマルタに到着したのは同日午後7時ごろ。日本にいる妻に電話し、「良かったね」という言葉を聞いて全身の力が抜けた。自身のツイッターには「おめでとう」のツイートが殺到していた。涙が止まらなかったという。

http://www.asahi.com/international/update/0225/NGY201102250032.html

1975年4月30日サイゴン陥落、あれから36年たってトリポリ陥落は3月中でしょう。