ダービー

当然ラーが恩返し被災地に冠を
被災地から頂点へ−。29日に行われる“競馬の祭典”ダービー(G1、芝2400メートル=東京)に、ディープインパクト産駒のトーセンラー(牡、藤原英)が挑む。3月11日に起きた東日本大震災当日、被害の大きかった宮城県山元町の山元トレセンにいたが、そこから5日後に無事帰厩。被災地の思いを胸に、08年生まれ7458頭の頂点を目指す。
背負っているものが違う。ダービーへ懸ける思いが違う。東北地方の人々の思いを胸に、トーセンラーがダービーへ挑む。
東日本大震災が起きた3月11日。ディープインパクトの子は宮城県亘理郡山元町にある山元トレーニングセンターにいた。4月17日の皐月賞(震災の影響で24日に延期)を目指し、翌3月12日に栗東トレセンへ移動する予定だった。だが、その予定も当然白紙。社台ファームで牡馬の調教を担当する東礼二郎調教主任は「震災直後は、馬の移動がどうこうじゃなかった。人も馬もどうやって生き延びるかだけだった」と振り返る。
震災から2日後、競走馬を輸送するための馬運車を北海道から山元トレセンへ動かせるメドが立った。最初に北海道をたった馬運車に馬は乗らなかった。被災地で当面必要な水と燃料が乗せられた。ラーを生産した社台ファームが主に水を担当。ノーザンファームは燃料を手配。双方の牧場がバラバラに動くのではなく、コミュニケーションを取って、迅速に動いた。宮城県をはじめとする被災者のもとへ救援物資を届けた後の車に、入れ替わるようにトーセンラーは乗って山元を出発した。
高速道路は閉鎖中。経由地の茨城県牛久市まで、どれだけの時間がかかるか想定できなかった。繊細なサラブレッドにとって、輸送に時間がかかればかかるほど、到着後のダメージは大きくなる。茨城県から滋賀県栗東までは別の馬運車に乗り換えて、さらに半日かかる。皐月賞への調整にズレが生じる可能性はあった。東主任は「山元を出発する時には、順調に調整できていたこともあり、馬体がふっくらとしていた。でも、想定外のダメージがあるかも」と心配はつきなかった。
栗東到着後、心身両面でダメージはなかったが皐月賞は7着。距離ロスの多い8枠16番が響いた。巨大な東京競馬場のスタンドに驚き、物見をして全能力を発揮できなかった。東主任は「皐月賞に出せただけでも幸せなことなのに、枠を敗因にしちゃ罰が当たるよ」と言い訳しない。「山元から移動できて皐月賞、ダービーに出せる。理解してくれた島川オーナー、馬運車会社、藤原英調教師をはじめとする厩舎スタッフ、山元、経由地の牧場、東北の方々、すべての人の協力があった」。
馬名は島川隆哉オーナーの冠名「トーセン」に、エジプト神話の太陽神「ラー」を組み合わせたもの。震災を経験し、そして苦難をくぐり抜けた。緑が映える東京競馬場で放つ輝きは被災地へ、そして日本へ向けての強烈なメッセージとなる。

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