青春

tk33082011-08-17

セイウンスカイに捧ぐ
大学を出たころ、私は何かにつけて苦労をしていた。
目を開けば毎日が灰色で、まともな将来も見えなかった。トラブルばかりで運がない、といえばそれまでだが、20代半ばの過ごし方としては、とてもじゃないが採点できない。それどころか、思い返すのも嫌な時代だった。
あの年はすごく暑い日の皐月賞で、パドックで大汗をかいている馬たちだらけだった。1頭、芦毛で比較的楽そうな馬がいた。その芦毛、皮膚が薄くて、イルカみたいに光ってた。けれど、私の馬券からは全部外した。当時のボーイフレンド(以下、A君)が、
「僕はセイウンスカイからいく。相当強い」
と言ったからだ。
そうなのか? 新聞を見ても知らない血統だが、G1で走れるのか―――
そういう時は、反対側の馬券を張るのが屈折した"私流"となっていた。
そしてそういう馬券は外れる。
芝生の上で行われた口取りを黄昏ながら眺めつつ、
「この馬主は、関係者が多いんだな」
と思った。
幸せそうな人が多かった。
2ヶ月後のダービー。
「わたしはスペシャルウイークからもう一度行く。」
早々に宣言した。
A君は、相変わらずセイウンスカイから行くらしい。
レース最後の直線、
(もらった!)
と思った。
換金しようとして、はじめて2着が抜けてると気がついた。何をしても馬券は外れるのだ。
そして、京都大賞典
A君はもう一度、言った。
「僕はセイウンスカイからいく。相当強い」
A君は、一橋大学を簡単に入って出るような頭をもっていたのだけれど、この時ばかりは、"本当に頭が悪いやつだ"と思った。なぜなら、どう考えても5歳馬相手に… しかもただの5歳馬ではない、当時の競馬界のトップクラス達相手に、4歳のセイウンスカイは分が悪いはずだった!
そして、なぜかあっけなくセイウンスカイは勝った。"頭の悪い"私の、メジロブライトの馬券は紙屑となった。
菊花賞の前夜、テレビにセイウンスカイの馬主が出ていた。
画面に向かって、
「明日は勝ちますよ」
と吠えていた。
菊花賞を逃げる・・・。そんなにうまくいくだろうか?
A君は、また言った。
「僕はセイウンスカイからいく。相当強い」
バカの一つ覚えだと思った。(明日は、私が笑う番だ!)と思った。スペシャルウイークにできる限り突っ込んだ。・・・ああ、何たることぞ! 私は砕けた。
2週間後、どういう縁か、私は西山興業に働きに出た。
これで当面、馬券で負けることはないだろうと安心した。セイウンスカイの馬券が、堂々と買えるからだ! 近々の有馬記念は、堂々の1番人気だ。そして結果は…
もう何も語るまい。
ボーイフレンドとは、なんだかんだで別れた。
翌年。
日経賞は楽勝、2着はセイウンエリアが入り、西山興業のワンツーフィニッシュだった。
私は生まれて初めて口取り写真に参加し、セイウンスカイに感謝し、そしてこれは故・西山会長の最後の口取り写真でもあった。
口取りに写真に写った私は、幸せそうだった。
この後、私は結婚するために退職。
翌年、セイウンスカイは引退し、ミヤリンと何度も訪れた西山牧場で、立ち上がる、あまりにも若く元気すぎるセイウンスカイの雄姿を見るたびに、現役時代を思い出し、
ああ、私にもたしかに青春があって競馬は楽しかった! と思い返す。20代半ばの日々も、競馬に救われセイウンスカイに救われ、そんなに悪くはなかったのかもしれない。そして今日、惜しむらくは、セイウンスカイが、もうしばらく私の思い出話の気の済むまで、いてくれなかったことだろう。

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