引退の潮時

《前略》
そして、今日、そのセイウンスカイの亡骸を見てわしの頭にずっとあったある疑問の、その答えが見えたように思えました。
その疑問とは…
『わしはセイウンスカイの引退の時期を間違えたのでは?』
これは、ずっと、ずっと、思っていたことでした。
平成11年、秋の天皇賞。一番人気ながら、ゲートに入らずスタートを7分遅らせて
道中、スムーズさを欠き5着。
その後、屈腱炎を発症し一年半休んで平成13年、春の天皇賞で復帰するも惨敗。
その夏引退式。
しかし…
世間から『あの平成11年、秋の天皇賞で5着、その後屈腱炎を発症した時点で、種牡馬にするべきだった。』と多数お叱りを受けたのを覚えています。
しかし、今日、今さっき馬房で暴れて亡くなったセイウンスカイを見て思いました。
『あそこで引退ではなく、もっと走らせてやれば良かったかと…』
セイウンスカイは牧場でのんびり余生を過ごすより競馬場でもっと、もっと走っていたかったのではないか、と。
話のできない馬の本心はわかりませんが、「俺はここでのんびりするより、走っていたかった、暴れていたかったんだよなあ、馬主さんよぉ」
引退したセイウンスカイには何度も放牧地で会いましたが今にして思うと、そう語りかけていたような気がします。
「俺は子孫繁栄より、俺自身がアスリートでいたいんだよ。」
いろいろ考えさせられますね。
1つだけはっきりしていることはセイウンスカイがいたから、馬主・西山茂行がいる。
私財を投げてでも牧場経営に心血注いだ父の西山正行を最後の最後のご褒美のように皐月賞の表彰台にあげてくれたこの芦毛の名馬を涙で送ります。
ありがとう。

http://ameblo.jp/nybokujo/

先のコスモバルクの話題とともに読むと考えさせられます。馬にとっては走り続けることが幸せなのか、それとものんびり過ごすことが幸せなのか。でも走り続けることは「故障」というリスクを背負うことも確かなわけで。ほんとに馬に聞いてみないと分かりません。