午後9時5分

帰ってからごはん食べて、おふろ入ってゆっくりしていると病院から「あぶない」との電話。まず私がひとりで出てタクシーで堀江へ。タクシーの中から新大阪と叔母に電話して病院で落ち合うことに。着いたらすでに叔母が着いており父のベッドの枠に顔を埋めています。当直の先生によると9時5分に亡くなったとのこと。看護師さんが顔や衣服をととのえてくれる、とのことなので病室を出て叔母と談話室へ。遅れて奥さんと大輔、新大阪の伯父・伯母がやってきて「間にあわんかった」と報告。支度が終わってきれいにしてもらった父は穏やかな顔をしていました。その合間に、市大病院に登録者死亡の連絡・ケアマネさんに報告とお礼などなどすませておきました。
11時半に寝台車が迎えに来て、母と同じ南大阪祭典へ。担当者が来てくれていろんな打ち合わせ。「火曜日は友引やなあ」と思っていたらうちの宗派はかまわないそうで、月曜お通夜・火曜告別式で動き出しました。大枠が決まってさて、となったところで「遺影用の写真とお棺に入れてやりたいモノ持って来よ」と家まで歩いて帰宅。だいたい10分くらいでした。それからまた南大阪祭典に戻って叔母らとお通夜・告別式の打ち合わせ。それが終わって私以外の5人はいったん帰り、父と私の2人きり。寝られたら寝たいな、と思っていましたがダメ。頭の芯がじんじんしている感じで眠れず、結局朝までロウソクと線香のもりをしていました。