夢をあきらめないで

路上から武道館、夢貫いた普通の子 CD8万枚手売り
路上から夢が巣立ち始めている。駅前に立ち、毎日終電まで歌い続けてきた女性が、約4年間でCD計8万枚を手売りし、1万5千人のサポーターを集めて武道館の単独公演を決めた。かつてヒットを連発した音楽プロデューサーも支援。夢をつかもうと、後輩や仲間が路上から背中を追いかける。
10月下旬の渋谷駅前。雑踏の中、手作りの看板の前で1人の女性アーティストが歌い出す。
♪いつからだろう 私の夢は 満席の武道館のステージに立つこと
自身の道のりをつづった曲「路上から武道館へ」。仕事帰りのサラリーマンや高校生らが足をとめ、40人ほどの人だかりができた。曲の合間にチラシを配り、CDにサインをしながら一人一人に声をかける。
東京出身の宮崎奈穂子さん(26)は、職場に出勤するように渋谷や新宿などターミナル駅近くの路上に立つ。夕方から午前0時まで週5日以上。身長ほどあるキーボードを背負い、路上から路上へ、アンプやCDなど30キロ以上の荷物をカートでひいて歩く。警察に追い払われることもある。
小さい頃から歌手に憧れていた。慶応大時代はデモテープを50本近く送ったがチャンスはつかめぬまま、就職活動の時期が迫る。大学3年の夏、「可能性を試しきらないで就活をしたら絶対に後悔する」。その一心で、渋谷駅前に立った。もともと人気者の同級生をうらやましく見ている地味なタイプ。借り物の機材で歌い出したが、誰も立ち止まらない。視線が怖くてうつむいた。1時間もしないうちに荷物をまとめていると、背広姿の男性に声をかけられた。「いい歌だね」。涙があふれた。
路上に通うようになった。雨の日も雪の日も。「自分から動かないと誰にも出会えない」。長い日は12時間も歌い続け、夜行バスで地方も回った。
2010年夏、仲間と立ち上げた音楽事務所で「1年間でファン会員1万5千人を集めたら、武道館で単独公演をする」という目標を立てた。「想像もつかない数字だったけど、やらなきゃ始まらないと思った」。共感したファンがツイッターで曲をリクエストする輪が広がるなど、後押しする動きが出た。356日目、目標を達成した。
「特にきれいでも歌がうまいわけでもない。でも、あきらめず必死に動くことで夢に近づける。武道館を目指して、伝えたいことが見つかった」。本番は11月2日。その前日も翌日も、路上に立つつもりだ。
CD不況の中、なぜ路上で歌う「普通の女の子」が共感を集めるのか。
日本レコード協会によると、CDの生産枚数は98年の4億5717万枚をピークに下がり続け、11年は1億9656万枚。同協会は音楽配信の普及や趣味の多様化が背景にあるとみる。オリコンによると、11年度に8万枚以上売り上げたシングル作品は97作品だ。
「売るための宣伝に力を入れる大手レコード会社とは、客の入り口が違う。路上なら直接伝わり、等身大で応援したいと身近に感じてもらえる」
そう語るのは、宮崎さんの所属事務所バースデー・イブの水谷隆社長。かつては大手音楽制作会社でヒットを連発したベテランプロデューサーだ。路上ライブを見たのがきっかけで支援を始め、事務所の社長に。伝わりやすい楽曲やイメージ作りを助言している。
「就職難などで夢がかなわない人も多いが、普通の子でも思いを貫けば武道館の単独公演まで行くという夢が、実際に形になった」
「こんなに大変なのに笑顔でキラキラしている。頑張っているのを見ると自分もがんばらないとって思う」とファン歴3年目の男性会社員(43)は話す。初めて聞き、CDを購入した会社員の熊本翔太さん(20)は「自分は夢がかなわず、やりたいことがわからなくなった。彼女は夢を目指し続けていてすごい。よく実現したなと共感した」。
路上から武道館へ。宮崎さんの背中を追うアーティストもいる。
同じ事務所には現在10人が所属。長野や大阪など出身地は様々だ。自ら路上へ飛び込んだ。銀行員から転身した女性も。2人は武道館へ挑戦中。家族やふるさと、いじめ問題など伝えたい思いはそれぞれだ。
♪最初は自分だけの夢だった 今は自分だけの夢じゃない
路上から始まった夢がいま、広がっている。

http://www.asahi.com/national/update/1027/TKY201210270164.html