大鵬という時代

tk33082013-01-20

敗戦5日後、ソ連軍が南下する樺太から最後の引き揚げ船が出る。1500人がひしめく船内に、3人の子を連れた母がいた。船は稚内経由で小樽に向かう途中、魚雷で沈んだ。母親を船酔いにし、稚内で下船させたのは相撲の神様なのか。色白の末っ子は、名横綱大鵬になる
納谷幸喜(なやこうき)さんが、72歳で亡くなった。母が生地の北海道から樺太に渡り、ウクライナ人と出会ったのも縁だろう。その父親とは戦中に離別、少年時代は道内を転々とし、重労働で家を支えた
大量の薪を割り、ツルハシで道を直し、スコップで砂利をすくう。険しい山に苗木を植え、柄が背丈ほどある鎌で下草を刈った。腰を入れて体全体で鎌をひねる動作は、得意技のすくい投げにつながる
32回の優勝は別格だ。ライバル柏戸の剛に対して柔、自在な取り口で受けて強かった。対戦相手は「柏戸は壁にぶつかる感じ、大鵬は壁に吸い込まれる感じ」と振り返る。その姿、その所作、静止画にたえる横綱だった
子どもが好きなものを並べて「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた全盛期、巨人と一緒は面白くなかったらしい。「有望選手を集めれば勝つのが当たり前。こっちは裸一貫なのに」と。晩年、若手の没個性や、稽古量の乏しさをよく嘆いた。「日本は豊かになりすぎた」

貴乃花が土俵を降りて、きょうで10年になる。大鵬貴乃花白鵬。美しく強い綱の系譜はまだ伸びるのだろうか。相撲を取らずとも、ただ見とれていたい力士が少なくなった。

http://www.asahi.com/paper/column.html

↑これは今日の天声人語、そうしてこれは↓スポーツ面に載っていた西村欣也のコラム。

巨人、大鵬、卵焼きの頃 元横綱大鵬死去
人々が共有できる価値観の象徴であったと思う。
1960年代、野球と相撲は大衆が好むスポーツ娯楽の中央にあり、子どもの弁当には卵焼きが添えられていた。巨人はプロ野球の盟主として存在し、大鵬は大相撲の中心にいた。
巨人には阪神大鵬には柏戸という好敵手がいた。それでも、巨人、大鵬を卵焼きと並べることで、ライバルとは関係なく万人が認める価値を共有したいという空気があった。
高度成長期という時代背景。長嶋茂雄・元巨人監督がこう話していた。「時代がヒーローを要求し、その波動が長嶋茂雄を作っていったんですねえ」。横綱大鵬も間違いなく時代が生んだスターだった。勝ち続け、成長し続ける未来が、国民の前に広がっていた。
今、私たちは共通の価値を見いだすことが簡単ではない時代に生きている。だからこそ、「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉に郷愁を感じ、懐かしさを覚えるのだろう。
1人の大横綱の死去による喪失感は大きいが、それだけではない。大鵬を失って、時代の残り香のようなものが、すっと消えていく。そんな寂しさを禁じ得ない。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201301200006.html

次にこんなに大騒ぎになるのは誰が亡くなったときでしょうな。