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企業戦士「ひとごとと思えない」 日揮に哀悼の献花続々
アルジェリアで起きた人質事件の犠牲者を悼む声がやまない。家族と離れて海を渡り、その国の経済発展に貢献してきた姿が、多くの人の心を揺さぶる。社員が事件に巻き込まれたプラント建設会社「日揮」は、横浜市の本社に設けた献花台を週末の26、27日も開放し、弔問を受け入れる。
26日午前9時半すぎ、献花台の受け付けが始まると、横浜市中区の眼鏡店経営清水良幸さん(53)は出勤前に立ち寄った。
日揮最高顧問の新谷正法(あらたにただのり)さん(66)とは10年来のつきあい。ニュースで新谷さんの写真を見て「まさか」と思った。だが、写真に写った縁の丸い眼鏡に見覚えがあった。自分の店で作って売ったものだった。
最後に新谷さんが店を訪れたのは1年半ほど前。「よくご夫婦で眼鏡を作っていただいた。新谷さんが店で『いいよ、好きなのを選びなさい』と、奥様に優しく声を掛けていた姿が浮かびます。本当にいたましい」
新谷さんの遺体は26日午後、成田空港に到着した。
「勇敢だったんだなあ」。25日夜、献花台が閉じられる間際に、外資系企業の日本事務所代表を務める丸山隆宏さん(33)は駆けつけ、声をかけた。日揮社員の木山聡さん(29)とは長岡技術科学大学の同じ研究室。後輩だけでなく先輩にも気を配る男だったことを思い出す。買ったばかりの花束を手向けた。「花なんか贈ったことがない僕が来ても喜んでくれるかわからないけど、いてもたってもいられなかった」
週末も弔問の列は途切れない。日揮と直接関係ない人の姿も目立つ。企業のグローバル化が進む中、同様に海外赴任の経験がある人たちから悼む声があがる。
川崎市の電機メーカー社員の男性(50)は、単身赴任先の大阪から自宅に帰る途中に立ち寄った。「名前が公表されて人となりがわかった。事件への関心が高くなった」
2001年の米同時多発テロ直後、シンガポールに赴任。安全が気になった当時を振り返ると、「今回の事件をひとごととは思えない。無念でなりません」と声を落とした。
横浜市の食品会社で働く西田浩さん(46)は平日は仕事があるため、土曜日を選んで訪れた。中国に単身赴任した経験と重ね、「愛する家族を残し、遠く異国の地で亡くなった。同じ日本人としてつらい」。
非鉄メーカーの男性社員(29)は、資源の少ない日本にとって日揮のように資源開発をする企業が支えだと感じている。「日本で快適に暮らしている裏側に、今回のような犠牲があったことを忘れてはいけない」
日揮が献花台と記帳台を設けたのは、社員らの死亡確認後の23日。訪れた人は25日夜までに1500人を超えた。小さな子どもを連れた母親や若いカップルの姿もあり、すぐに花束でいっぱいになった。福田康夫元首相夫妻も現れた。
献花台の開放は午後5時半まで。27日も午前9時半から受け付け、2月1日まで続ける予定という。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201301260288.html