相馬野馬追

相馬の野馬追、千年の伝統ピンチ 会場は屋内退避地域
津波被害と原発事故で、千年の伝統があり戦争中も途切れなかったとされる福島県相馬地方の「相馬野馬追(のまおい)」が存続の危機だ。しかし住民たちからは復興に向けた精神的支柱として、開催したいとの声が上がっている。
相馬野馬追は毎年7月下旬、同県の南相馬市と相馬市を中心に開かれる。旧相馬中村藩領の郷(ごう)と呼ばれる五つの地域の騎馬会から、約500騎の甲冑(かっちゅう)騎馬武者が集結する勇壮な祭りだ。
だが両市の沿岸部は津波で壊滅的な被害を受け、今も行方不明者の捜索が続く。
さらに福島第一原発の事故で、主会場の南相馬市は避難指示、屋内退避、何の指示もない地域の三つに分断され、7万人のうち約5万人が地元を離れた。避難する際に取り残された馬も多いという。加えて、騎馬武者が疾走する会場は屋内退避指示地域にある。
「仕方ないけど、今年は無理だろうな」
高校時代から40年以上出場している同市鹿島区の建設業加藤栄さん(59)は話す。親戚を亡くしたり家を流されたりした仲間を思うと心が痛む。「原発の問題もある。やりたくても難しいよ」と、ため息をつく。
相馬市の宇多郷(うだごう)騎馬会・持舘孝勝会長(68)は、津波で自宅が2メートルほど水没した。翌朝、飼っている馬13頭を見にいったら、脚などにけがをしていたが、全頭が生きていた。泥をかき分けて助け出した。
五つの騎馬会の会員約700人の安否や避難先などは把握しきれておらず、7月末のことを考える余裕もないのが現状だ。
「でも相馬にとって野馬追は特別な存在。だから、何年かかっても必ずやりたい」。持舘さんは力を込める。
祭りの初日にある総大将の出陣式が行われる相馬中村神社(相馬市)には、野馬追の関係者がぽつりぽつりと訪れるようになった。
「馬は無理でも、陣羽織だけ着て集まっぺ」。規模を縮小し、可能な範囲で開催しようという声が多いという。
禰宜(ねぎ)の田代麻紗美さん(31)は「亡くなった多くの方々の慰霊とこれからの復興。どんな形でも続けていければ、相馬の希望の光になるのでは」と話す。
神社によると、野馬追は江戸時代の飢饉(ききん)や、太平洋戦争などの際も規模や形を変えて続けられてきたという。
野馬追は開催の有無を含めて、周辺自治体の首長や騎馬会長らによる執行委員会が決める。執行委事務局がある南相馬市によると、まだ協議は行われていない段階という。

http://www.asahi.com/national/update/0406/TKY201104060210.html